源平の人々に出会う旅

源平の人々に出会う旅 第52回「鎌倉・鎌倉幕府」

『平家物語』諸本は、「灌頂巻」で終わるものと、六代斬られ(断絶平家)で終わるものとに大きく分けられますが、延慶本はさらに頼朝讃辞を付け加えて終わります。 【源頼朝像(源氏山公園)】 文治5年(1189年)、奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、軍事面での全…

源平の人々に出会う旅 第51回「京都・灌頂巻」

『平家物語』の諸本は、読み本系と語り本系に分類できますが、語り本系はさらに「灌頂巻」の有無によって一方系と八坂系に分類されます。一方系には巻12の後に、建礼門院徳子の後日談をまとめた「灌頂巻」があります。 【長楽寺】 壇の浦合戦後、建礼門院は…

源平の人々に出会う旅 第50回「相模・平家その後」

元暦2年(1185)、北条時政に連行された六代御前は駿河国千本松原で斬首されそうになりますが、文覚が頼朝を説得したことで処刑が中止になります。六代は京へ戻り、文覚の弟子となって、後に出家します。 【文覚上人屋敷跡】 文覚は、配流先の伊豆で頼朝と出…

源平の人々に出会う旅 第49回「高雄・六代と文覚」

元暦2年(1185)の壇の浦合戦後、頼朝は都に北条時政を派遣して、叔父の義憲・行家を粛清すると同時に、平家の血を引く男子を探し出し、次々と殺害していきます。そして、平家の嫡流・維盛の子である六代御前も発見されてしまいます。 【神護寺楼門】 維盛の…

源平の人々に出会う旅 第48回「平泉町・義経の最期」

元暦2年(1185)、頼朝との確執により、北陸へ逃れたとされる義経は、その後、奥州平泉の藤原秀衡を頼ります。その間に頼朝は、後白河法皇に要請して、義経逮捕を名目に、全国に守護・地頭を設置することに成功します。 【高館義経堂】 文治3年(1187)10月…

源平の人々に出会う旅 第47回「石川県・義経北国落」

文治元年(1185)、義経は、腰越から都へ戻る途中、護送していた平宗盛父子を近江国で処刑します。その後、頼朝から義経暗殺を命じられた土佐房昌俊は、六条堀川の義経の宿所を襲撃しますが、失敗して義経に斬首されます。11月、義経は船で九州へ逃れようと…

源平の人々に出会う旅 第46回「三浦市・頼朝の三御所」

平家滅亡の後、次々と近親者を粛清した頼朝は、着々と鎌倉幕府の体制を整えていました。『平家物語』からは外れますが、『吾妻鏡』には、建久3年(1192)に征夷大将軍となった頼朝が、その2年後の閏8月1日に、三浦の津に山荘を建てるという記事があります。…

源平の人々に出会う旅 第45回「修善寺・範頼最期」

平家滅亡後、義経を都へ追い返した頼朝は、今度は義経を暗殺しようとします。義経は奥州へ逃亡しますが、伯父の行家、義憲と次々に親族を排除していきます。もう一人の弟範頼も例外ではありませんでした。蒲冠者範頼は、蒲御厨(静岡県)出身とされ、『平家…

源平の人々に出会う旅 第44回「鎌倉市・腰越状」

元暦2年(1185)3月24日、壇浦の合戦で平家の総大将宗盛と子息清宗は捕虜となり、義経は二人を鎌倉へ連行します。ところが頼朝は、捕虜を受け取り、義経は腰越に留めて鎌倉へ入れませんでした。梶原景時の讒言を聞き入れていたからです。 【満福寺】 覚一本…

源平の人々に出会う旅 第43回「落人伝説・安徳天皇」

元暦2年(1185)3月24日、平家一門と供に壇の浦に沈んだ安徳天皇ですが、実は密かに落ち延びた、などの伝説が日本各地に点在しています。 【水天宮】 久留米市にある水天宮は、全国にある水天宮の総本山で、天之御中主神・安徳天皇・平徳子・二位尼時子を祭…

源平の人々に出会う旅 第42回「下関市・壇浦合戦」

元暦2年(1185)2月、義経軍は、讃岐の志度合戦後に田内左衛門教能(のりよし)を捕らえていました。教能の父は平家と行動を共にしている阿波民部重能です。 【壇浦(赤間ヶ関)】 3月24日、壇浦で源平最後の戦いが行われます。知盛は阿波民部の様子に異変を…

源平の人々に出会う旅 第41回「紀伊田辺・湛増と弁慶」

元暦2年(1185)2月、讃岐国屋島で勝利した義経軍は、同国志度合戦の後、周防国(山口県)へ向かい範頼軍と合流します。 【闘鶏神社】 熊野別当湛増は、田辺の新熊野(闘鶏神社)において、源平どちらの味方につくべきかを占います。治承4年(1180)、以仁…

源平の人々に出会う旅 第40回「那須・扇の的」

元暦2年(1185)2月、義経は少数の兵で阿波国勝浦に上陸し、讃岐国屋島にある平家の館を襲撃します。海上へ逃れた平家との、陸と海との戦いとなり、源氏方の佐藤嗣信が能登守教経に射殺されてしまいます。 【那須温泉神社】 日が傾くと、平家船が陸に近づき…

源平の人々に出会う旅 第39回「摂津・逆櫓」

元暦2(1185)年2月3日、範頼・義経軍は、屋島(高松市)に拠点を置く平家を追討する為に京都を出発しました。 【渡辺の津】 範頼軍は神崎の津(尼崎市)、義経軍は渡辺の津(大阪市)から、船で屋島に向かおうとしますが、激しい暴風雨に足止めされ…

源平の人々に出会う旅 第38回「倉敷市・藤戸合戦」

元暦元年(1184)3月、維盛は那智の沖で入水し、7月には後鳥羽天皇が即位しました。9月になると、源氏の範頼軍は播磨国に入り、平家軍は備前国藤戸に布陣します。両者は海を隔てて対峙したたまま日を送っていました。 【盛綱橋】 漁夫から密かに浅瀬を聞き出…

源平の人々に出会う旅 第37回「紀州・横笛」

元暦元年(1184)3月、高野山に入った平維盛が訪ねたのは滝口入道でした。滝口入道は、かつて小松殿(維盛の父・重盛の館)に出仕する斉藤時頼という侍でした。時頼は建礼門院に仕える横笛と恋仲になりました。この話は『平家物語』の諸本によって差異があり…

源平の人々に出会う旅 第36回「紀州・高野山」

元暦元年(1184)3月、平家一門のいる屋島から脱出して紀州へ入った維盛主従は、ある人物を訪ねるために高野山へ向かいます。 【高野山 根本大塔】 高野山は、平家にゆかりの深い地です。若き日の清盛が安芸守の時に、高野山大塔の修復を命じられます。この…

源平の人々に出会う旅 第35回「紀州・維盛離脱」

元暦元年(1184)2月、平家は一の谷で多くの公達を失い、屋島(香川県)に滞在していました。その翌月、平維盛は、都へ残した妻子を片時も忘れることができず、与三兵衛重景・石童丸・武里を従えて密かに屋島を抜け出し、船で紀州へ向かいます。 【和歌の浦…

源平の人々に出会う旅 第34回「京都市・戒文」

寿永3年(1184)2月、一の谷合戦で多くの平家公達が討たれた中、重衡のみが生け捕られ、都大路を渡されます。人々は、南都(奈良の寺々)を焼き討ちした罰だと噂しあいます。 【西八条第跡(清盛邸)】 重衡は、清盛・時子の愛息でした。後白河法皇は、重衡…

源平の人々に出会う旅 第33回「神戸市・小宰相と通盛」

寿永3年(1184)年2月、一の谷合戦で多くの公達が討たれましたが、平教盛の子・通盛もその一人です。通盛の北の方・小宰相は通盛の死を嘆き悲しみ、夜の海に入水してしまいます。 【氷室神社】 一の谷の平家の陣内では、通盛が弟教経の仮屋で小宰相と…

源平の人々に出会う旅 第32回「深谷市・忠度と六弥太」

寿永3年(1184)2月、搦手の義経軍は鵯越の逆落しで平家館の背後を襲い、館内の人々は海上へと逃げ出します。海岸沿いでは平家の公達が次々と命を失いました。 【普済寺】 清盛の弟で歌人の忠度は岡部六弥太忠澄に討たれます。忠度は最後まで名乗りませんでし…

源平の人々に出会う旅 第31回「神戸市・生田の戦い」

寿永3年(1184)2月、大手の範頼軍は海沿いの山陽道、搦手の義経軍は山側の三草経由で平家討伐に向かいました。西国では平家が勢力を盛り返して福原にまで戻り、生田の森(現・神戸市)に城郭を構えていました。 【生田の森(生田神社)】 生田の森では、熊谷…

源平の人々に出会う旅 第30回「福光町・巴その後」

寿永3年(1184)1月20日、義仲討死後の巴の動向は『平家物語』諸本によって異なります。『源平盛衰記』では、信濃に戻った後、鎌倉に呼び出されますが、和田義盛と結ばれて朝比奈三郎を産み、和田合戦の後は、越中石黒(福光町)を頼って尼となり、91歳まで生…

源平の人々に出会う旅 第29回「大津市・木曽の最期」

寿永3年(1184)1月20日、京都で東国軍との戦い(河原合戦)に敗れた義仲は、めのと子の今井兼平がいる勢多へ向かいます。巴や手塚光盛ら、わずかな従者も討死や離脱し、とうとう義仲・兼平主従二騎となってしまいます。 【今井四郎兼平の墓】 義仲は自害する…

源平の人々に出会う旅 第28回「宇治市・宇治川の先陣」

寿永3年(1184)1月20日、東国の範頼・義経軍が宇治・勢多に到達します。京の義仲は、仁科・高梨らを宇治に、今井兼平らを勢多に派遣し、敵の侵入を防ぐため宇治・勢多川の橋板を外します。 【平等院】 延慶本『平家物語』は、義経が、宇治川端の在家を焼払い…

源平の人々に出会う旅 第27回「犬山市・磨墨」

寿永3年(1184)1月、東国の大軍勢が都に迫ります。この時、梶原景季(景時の子)は、頼朝に名馬生食(池月などとも)を所望しましたが、生食の代わりに名馬磨墨を与えられます。その後、頼朝は生食を佐々木高綱に与えてしまうのですが、高綱は景季に生食を盗…

源平の人々に出会う旅 第26回「小田原市・範頼義経上洛」

寿永2年(1183)11月、義仲と後白河法皇の対立が悪化し、法住寺合戦が起こります。圧勝した義仲は法皇を幽閉、藤原基房と共に除目を行い、征夷大将軍(史実は征東大将軍)となります。しかし、この時には範頼・義経が率いる東国の軍勢が迫っていました。 【曽…

源平の人々に出会う旅 第25回「備中・妹尾最期」

寿永2年(1183)閏10月、水島の大敗を聞いた義仲は、倉光三郎を備中へ先行させますが、倉光は同行した妹尾太郎兼康(北陸合戦で捕虜となっていた)に討たれてしまいます。 【妙善寺(福隆寺・福輪寺)】 『源平盛衰記』では、兼康は平家に合流するため、福輪…

源平の人々に出会う旅 第24回「倉敷市・水島合戦」

寿永2年(1183)閏10月1日、屋島にいた平家が京ヘ進撃すると聞いた義仲は、海野幸親と矢田義清を派遣し、両軍が備中水島で激突します。 【玉島港】 現在、この付近は凹凸の多い地形ですが、当時は大小の島が浮かぶ海面でした(近世以降、干拓が行われてきまし…

源平の人々に出会う旅 第23回「信州佐久・猫間」

寿永2年(1183)、入京した義仲は京都の守護を命じられますが、京中の狼藉は収まりません。『平家物語』は、狼藉を義仲軍のみの所為であるかのように記し、義仲の田舎者振りを嘲笑する”猫間”や”牛車”のエピソードを載せます。事実を誇張したのか、『今昔物語…