源平の人々に出会う旅

源平の人々に出会う旅 第85回「嵯峨嵐山・西行伝説」

"旅する僧"として全国各地に伝承を持つのが空海や行基、宗祇、西行などです。なかでも、宗祇や西行が、旅の途中で出会った子供が詠んだ歌のレベルの高さに驚いて道を引き返したというパターン(西行戻り伝説と呼ばれる)の伝承は興味深いものです。 【歌詰橋…

源平の人々に出会う旅 第84回「大垣市・奥の細道むすびの地」

松尾芭蕉は『平家物語』の影響を受けている著名人の一人です。たとえば、『おくのほそ道』の旅では、義経や義仲らのゆかりの地を多数訪れています。なお、書名は『奥の細道』と表記されることが多いのですが、芭蕉みずから書いた表題は「おくのほそ道」です…

源平の人々に出会う旅 第83回「足利市・足利義兼」

足利義兼は室町幕府を開いた足利尊氏の先祖です。父は義康、妻は北条時政の娘で、兄弟には矢田義清がいます。覚一本『平家物語』には、藤戸合戦(元暦元年(1184))で源範頼軍の中にその名が見え、『吾妻鏡』では、頼朝の奥州合戦(文治五年(1189))に参加し…

源平の人々に出会う旅 第82回「鎌倉周辺・保元平治の乱その後」

平治元年(1159)、源氏と平家の明暗を分ける平治の乱が起こりました。平重盛軍に敗れて逃走した源義朝は尾張国で討たれ、まだ13歳だった頼朝は囚われて伊豆国に流されてしまいます。 【光照寺(逗子市)】 この時、悪源太義平(義朝の長男)は逃げ延びてい…

源平の人々に出会う旅 第81回「尾道市・義仲遺児と覚明」

木曽義仲の嫡子清水冠者の名は、覚一本『平家物語』は義重としますが、一般的には『吾妻鏡』の義高で呼ばれることが多いです。長門本『平家物語』では、弟が3人、妹が1人おり、次男の幼名を力寿とします。日本各地には力寿と義仲遺臣らの落人伝説が点在し、…

源平の人々に出会う旅 第80回「熊谷市・熊谷直実」

『平家物語』の名場面の一つに「敦盛最期」(巻九)があります。寿永3年(1184)、一の谷の戦いにおいて、美しい若武者平敦盛を熊谷直実が涙ながらに討ち取る場面は、人々の胸を打つものでした。 【熊谷直実像】 直実は埼玉県熊谷市の出身とされ、熊谷駅前に…

源平の人々に出会う旅 第79回「福岡県・木の丸殿」

寿永2年(1183年)7月25日に都落ちした平家は九州の太宰府に逃れ、安徳天皇は地元の武士原田種直の宿所に入ります。覚一本『平家物語』は、「内裏は山のなかなれば、かの木の丸殿もかくやとおぼえて」かえって優雅な風情であると記しています。 【朝倉木丸殿…

源平の人々に出会う旅 第78回「鎌倉市・永福寺」

文治5年(1189)閏4月、奥州に逃れていた義経は、藤原泰衡の裏切りによって討たれます。同7月、頼朝は泰衡を征伐するために奥州へ出発し、ついに奥州藤原氏を攻め滅ぼしました。(『吾妻鏡』) 【永福寺跡】 同12月9日には、永福寺の事始めがありました。永…

源平の人々に出会う旅 第77回「京都市・菅原道真出生地」

『平家物語』には、しばしば菅原道真の逸話が引用されています。道真といえば、遣唐使の廃止・太宰府への左遷と怨霊・飛梅伝説などが有名ですが、出生地はけっきょく不明のようです。 【菅原院天満宮神社(菅原院跡)】 道真の出生地は、『拾芥抄』には京都…

源平の人々に出会う旅 第76回「鹿嶋市・源氏と鹿島神宮」

鹿島神宮(常陸国一宮)は神武天皇元年の創建とされ、武甕槌(たけみかづち)大神を祀っています。源氏とも深い関わりがあり、頼朝から崇敬されていたことなどが『吾妻鏡』に記されています。 【大鳥居】 治承5年(1181)閏2月4日、都では平清盛が死去します。…

源平の人々に出会う旅 第75回「奈良県・長谷寺」

『平家物語』では、壇の浦の合戦(元暦2年(1185))で平家が亡んだあと、維盛の遺児六代御前の物語(第49回「高雄・六代と文覚」参照)が記されますが、この物語は長谷寺の観音信仰と密接な関わりがあります。 【長谷寺】 維盛の北の方(藤原成親の娘)は都…

源平の人々に出会う旅 第74回「東京・将門伝説」

「祇園精舎の鐘の声」から始まる『平家物語』の有名な冒頭の一節では、「おごれる人も久しからず」の日本の例として、「承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼」をあげています。承平年間(931~938)に起こった平将門の乱については『将門記』に詳…

源平の人々に出会う旅 第73回「福岡県・平家伝説」

九州には壇の浦で亡んだ平家の落人伝説が多数ありますが、そればかりではありません。たとえば、都落ち以前に死去した小松殿重盛(清盛嫡男)の伝説が多いのも興味深いところです。 【七木地蔵尊】 七木地蔵は、久留米市長門石地区にかつて存在した両道院(…

源平の人々に出会う旅 第72回「京都・仁和寺」

寿永2年(1183)7月25日、木曽義仲の進撃によって平家は都を出て西国へ落ちて行きますが、『平家物語』には、平家の人々のそれぞれの別れが記されています。「経正都落」もその一つです。 【仁和寺北庭】 宇多法皇が仁和寺を御所(御室御所)として以来、仁…

源平の人々に出会う旅 第71回「鎌倉市・実朝周辺」

建保7年(1219)1月27日、鎌倉三代将軍実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に殺害されました。公暁は実朝の首を持って逃走し、三浦義村に連絡を入れます。しかし、実朝の死を聞いた義村は落涙し、長尾定景に命じて公暁の首を斬ってしまいます。(『吾妻鏡』) 【鶴岡…

源平の人々に出会う旅 第70回「浅草界隈・頼朝伝説」

治承4年(1180)、石橋山の大敗で房州に逃れた頼朝は勢力を整えて鎌倉に入りました。その後文治5年(1189)には、奥州征伐へ向かいます。この時、頼朝は浅草付近を通過したというので、複数の伝説が点在しています。なお、『吾妻鏡』治承5年(1181)7月条に…

源平の人々に出会う旅 第69回「木曽町・木曽の伝説」

源義仲は、現在の木曽町日義付近で成長したとされ、周辺には数多くの興味深い伝説が存在しています。 【巴淵】 義仲に従ったという巴は、『源平盛衰記』では中原兼遠の娘、その他の『平家物語』では便女(下女)と記されています。地元の伝説では、巴は木曽…

源平の人々に出会う旅 第68回「米原市醒井・日本武尊」

『古事記』や『日本書紀』には、景行天皇の御代に日本武尊が東国征討へ向かう際、伊勢神宮に寄り、草薙剣(後の三種神器の一つ)を授けられたという逸話があります。 【居醒の清水】 日本武尊は伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境)征伐に向かいますが、山神に返…

源平の人々に出会う旅 第67回「湯西川・平家落人伝説」

全国に点在する平家落人伝説地の一つに湯西川温泉(栃木県日光市)があります。平家の忠臣肥後守貞能(重盛の子忠房とも、平高房とも)が、重盛の妹たちを連れて、この地に隠棲したと伝わっています(複数の説あり)。 【落人の里】 落人達は、しばらく鶏頂…

源平の人々に出会う旅 第66回「鎌倉・政子と大姫」

寿永3年(1184)4月、清水冠者義高が頼朝の命令で殺害されたことにより、許嫁であった頼朝と政子の長女大姫は薄幸の生涯を送ることになります。 【岩殿寺(岩殿観音堂)】 文治3年(1187)2月に大姫、建久3年(1192)3月に頼朝、建久4年(1193)8月に政子、…

源平の人々に出会う旅 第65回「北本市・蒲冠者範頼伝説」

源氏軍の大手の大将軍として平家軍と戦った蒲冠者範頼は、搦め手の大将軍である弟義経の活躍に押されて目立たない人物です。また、兼好法師の『徒然草』に「蒲冠者のことはよくは知らざりけるにや、多くのことどもをしるしもらせり」とあるように、『平家物…

源平の人々に出会う旅 第64回「市川市・千葉県の頼朝伝説」

治承4年(1180)8月、石橋山で惨敗した頼朝は船で房総半島に渡り、千葉一族を味方に付けて再起しました。安房国から上総国を経て下総国に入ります(『吾妻鏡』)。そのため、下総国府(市川市国府台)周辺には頼朝伝説が点在しています。 【白旗天神社】 市…

源平の人々に出会う旅 第63回「東京・志田義広」

志田三郎先生義広(信太義憲などとも)は源為義の三男で、常陸国信太荘(稲敷市)に居住していました。『平家物語』ではあまり目立たない人物ですが、甥の頼朝とは犬猿の仲です。 【明王院(赤不動)】 寿永2年(1183年)2月、義広は頼朝軍と野木宮(栃木県…

源平の人々に出会う旅 第62回「姫路市・弁慶と書写山」

誰もがよく知る武蔵坊弁慶は、意外にも『平家物語』にはほとんど登場しません。その生涯は『義経記』や御伽草子『弁慶物語』に詳しく記されています。熊野別当の子として、超人的な能力を持って生まれた鬼若(弁慶の幼名)は、比叡山に預けられました。しか…

源平の人々に出会う旅 第61回「横浜市・畠山重忠の最期」

元久2年(1205)6月22日、由比ヶ浜で畠山重保が騙し討ちされます(第60回「鎌倉市・御家人その後」参照)。父重忠は、居住地の菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町)から鎌倉に向かう途中、二俣川(横浜市旭区)で北条義時軍に襲撃されました。 【二股川古戦場・さかさ…

源平の人々に出会う旅 第60回「鎌倉市・御家人その後」

源平合戦を勝ち抜き、鎌倉幕府を開いた頼朝を支えたのが御家人たちです。しかし、頼朝の死後、梶原氏、和田氏などの有力御家人達が次々に滅ぼされたことが『吾妻鏡』に記されています。 【比企能員一族の墓(妙本寺)】 比企氏は、頼朝の乳母である比企尼の…

源平の人々に出会う旅 第59回「大内宿・以仁王伝説」

治承4年(1180)5月、高倉宮以仁王と源頼政が打倒平家を志しますが、敢えない最期を遂げます。覚一本『平家物語』では、平家が頼政の首を回収出来ず、史実においては以仁王の死が不明瞭なことから、その後の二人の伝説が全国各地に広がります。 【大内宿】 …

源平の人々に出会う旅 第58回「熊谷市・長井斎藤別当実盛」

『平家物語』の有名な逸話の一つに、加賀篠原の戦い(寿永2年=1183)で白髪を墨で染めて討死する斎藤実盛の話があります。実盛は北陸の生まれでしたが、源氏の家人として東国に館を構えていました。 【長井斎藤別当実盛館跡】 『平家物語』に「長井斎藤別当…

源平の人々に出会う旅 第57回「京都・怨霊の恐怖」

『平家物語』には、しばしば怨霊への恐れが記されます。たとえば、巻三「赦文」では、中宮徳子の難産は、讃岐院(崇徳院)や悪左府藤原頼長、早良親王、井上内親王らの死霊や、鬼界ヶ島の流人達の生霊が原因と考えられたとしています。 【御霊神社(上御霊神…

源平の人々に出会う旅 第56回「駿河・海道下」

元暦2年(1185)、壇の浦の合戦で平家が滅びた後、捕虜として京と鎌倉を往復したのが、一の谷で生け捕られた平重衡と、壇の浦で生け捕られた平宗盛父子です。 【小夜の中山】 『平家物語』では、寿永3年(1183)に重衡が鎌倉へ護送されるまでの道程を、地名…