源平の人々に出会う旅

源平の人々に出会う旅 第42回「下関市・壇浦合戦」

元暦2年(1185)2月、義経軍は、讃岐の志度合戦後に田内左衛門教能(のりよし)を捕らえていました。教能の父は平家と行動を共にしている阿波民部重能です。 【壇浦(赤間ヶ関)】 3月24日、壇浦で源平最後の戦いが行われます。知盛は阿波民部の様子に異変を…

源平の人々に出会う旅 第41回「紀伊田辺・湛増と弁慶」

元暦2年(1185)2月、讃岐国屋島で勝利した義経軍は、同国志度合戦の後、周防国(山口県)へ向かい範頼軍と合流します。 【闘鶏神社】 熊野別当湛増は、田辺の新熊野(闘鶏神社)において、源平どちらの味方につくべきかを占います。治承4年(1180)、以仁…

源平の人々に出会う旅 第40回「那須・扇の的」

元暦2年(1185)2月、義経は少数の兵で阿波国勝浦に上陸し、讃岐国屋島にある平家の館を襲撃します。海上へ逃れた平家との、陸と海との戦いとなり、源氏方の佐藤嗣信が能登守教経に射殺されてしまいます。 【那須温泉神社】 日が傾くと、平家船が陸に近づき…

源平の人々に出会う旅 第39回「摂津・逆櫓」

元暦2(1185)年2月3日、範頼・義経軍は、屋島(高松市)に拠点を置く平家を追討する為に京都を出発しました。 【渡辺の津】 範頼軍は神崎の津(尼崎市)、義経軍は渡辺の津(大阪市)から、船で屋島に向かおうとしますが、激しい暴風雨に足止めされ…

源平の人々に出会う旅 第38回「倉敷市・藤戸合戦」

元暦元年(1184)3月、維盛は那智の沖で入水し、7月には後鳥羽天皇が即位しました。9月になると、源氏の範頼軍は播磨国に入り、平家軍は備前国藤戸に布陣します。両者は海を隔てて対峙したたまま日を送っていました。 【盛綱橋】 漁夫から密かに浅瀬を聞き出…

源平の人々に出会う旅 第37回「紀州・横笛」

元暦元年(1184)3月、高野山に入った平維盛が訪ねたのは滝口入道でした。滝口入道は、かつて小松殿(維盛の父・重盛の館)に出仕する斉藤時頼という侍でした。時頼は建礼門院に仕える横笛と恋仲になりました。この話は『平家物語』の諸本によって差異があり…

源平の人々に出会う旅 第36回「紀州・高野山」

元暦元年(1184)3月、平家一門のいる屋島から脱出して紀州へ入った維盛主従は、ある人物を訪ねるために高野山へ向かいます。 【高野山 根本大塔】 高野山は、平家にゆかりの深い地です。若き日の清盛が安芸守の時に、高野山大塔の修復を命じられます。この…

源平の人々に出会う旅 第35回「紀州・維盛離脱」

元暦元年(1184)2月、平家は一の谷で多くの公達を失い、屋島(香川県)に滞在していました。その翌月、平維盛は、都へ残した妻子を片時も忘れることができず、与三兵衛重景・石童丸・武里を従えて密かに屋島を抜け出し、船で紀州へ向かいます。 【和歌の浦…

源平の人々に出会う旅 第34回「京都市・戒文」

寿永3年(1184)2月、一の谷合戦で多くの平家公達が討たれた中、重衡のみが生け捕られ、都大路を渡されます。人々は、南都(奈良の寺々)を焼き討ちした罰だと噂しあいます。 【西八条第跡(清盛邸)】 重衡は、清盛・時子の愛息でした。後白河法皇は、重衡…

源平の人々に出会う旅 第33回「神戸市・小宰相と通盛」

寿永3年(1184)年2月、一の谷合戦で多くの公達が討たれましたが、平教盛の子・通盛もその一人です。通盛の北の方・小宰相は通盛の死を嘆き悲しみ、夜の海に入水してしまいます。 【氷室神社】 一の谷の平家の陣内では、通盛が弟教経の仮屋で小宰相と…

源平の人々に出会う旅 第32回「深谷市・忠度と六弥太」

寿永3年(1184)2月、搦手の義経軍は鵯越の逆落しで平家館の背後を襲い、館内の人々は海上へと逃げ出します。海岸沿いでは平家の公達が次々と命を失いました。 【普済寺】 清盛の弟で歌人の忠度は岡部六弥太忠澄に討たれます。忠度は最後まで名乗りませんでし…

源平の人々に出会う旅 第31回「神戸市・生田の戦い」

寿永3年(1184)2月、大手の範頼軍は海沿いの山陽道、搦手の義経軍は山側の三草経由で平家討伐に向かいました。西国では平家が勢力を盛り返して福原にまで戻り、生田の森(現・神戸市)に城郭を構えていました。 【生田の森(生田神社)】 生田の森では、熊谷…

源平の人々に出会う旅 第30回「福光町・巴その後」

寿永3年(1184)1月20日、義仲討死後の巴の動向は『平家物語』諸本によって異なります。『源平盛衰記』では、信濃に戻った後、鎌倉に呼び出されますが、和田義盛と結ばれて朝比奈三郎を産み、和田合戦の後は、越中石黒(福光町)を頼って尼となり、91歳まで生…

源平の人々に出会う旅 第29回「大津市・木曽の最期」

寿永3年(1184)1月20日、京都で東国軍との戦い(河原合戦)に敗れた義仲は、めのと子の今井兼平がいる勢多へ向かいます。巴や手塚光盛ら、わずかな従者も討死や離脱し、とうとう義仲・兼平主従二騎となってしまいます。 【今井四郎兼平の墓】 義仲は自害する…

源平の人々に出会う旅 第28回「宇治市・宇治川の先陣」

寿永3年(1184)1月20日、東国の範頼・義経軍が宇治・勢多に到達します。京の義仲は、仁科・高梨らを宇治に、今井兼平らを勢多に派遣し、敵の侵入を防ぐため宇治・勢多川の橋板を外します。 【平等院】 延慶本『平家物語』は、義経が、宇治川端の在家を焼払い…

源平の人々に出会う旅 第27回「犬山市・磨墨」

寿永3年(1184)1月、東国の大軍勢が都に迫ります。この時、梶原景季(景時の子)は、頼朝に名馬生食(池月などとも)を所望しましたが、生食の代わりに名馬磨墨を与えられます。その後、頼朝は生食を佐々木高綱に与えてしまうのですが、高綱は景季に生食を盗…

源平の人々に出会う旅 第26回「小田原市・範頼義経上洛」

寿永2年(1183)11月、義仲と後白河法皇の対立が悪化し、法住寺合戦が起こります。圧勝した義仲は法皇を幽閉、藤原基房と共に除目を行い、征夷大将軍(史実は征東大将軍)となります。しかし、この時には範頼・義経が率いる東国の軍勢が迫っていました。 【曽…

源平の人々に出会う旅 第25回「備中・妹尾最期」

寿永2年(1183)閏10月、水島の大敗を聞いた義仲は、倉光三郎を備中へ先行させますが、倉光は同行した妹尾太郎兼康(北陸合戦で捕虜となっていた)に討たれてしまいます。 【妙善寺(福隆寺・福輪寺)】 『源平盛衰記』では、兼康は平家に合流するため、福輪…

源平の人々に出会う旅 第24回「倉敷市・水島合戦」

寿永2年(1183)閏10月1日、屋島にいた平家が京ヘ進撃すると聞いた義仲は、海野幸親と矢田義清を派遣し、両軍が備中水島で激突します。 【玉島港】 現在、この付近は凹凸の多い地形ですが、当時は大小の島が浮かぶ海面でした(近世以降、干拓が行われてきまし…

源平の人々に出会う旅 第23回「信州佐久・猫間」

寿永2年(1183)、入京した義仲は京都の守護を命じられますが、京中の狼藉は収まりません。『平家物語』は、狼藉を義仲軍のみの所為であるかのように記し、義仲の田舎者振りを嘲笑する”猫間”や”牛車”のエピソードを載せます。事実を誇張したのか、『今昔物語…

源平の人々に出会う旅 第22回「鎌倉・征夷大将軍」

寿永2年(1183)7月、入京を果たした義仲でしたが、帝位争いで北陸宮(以仁王の遺児)の擁立に失敗します。『平家物語』では、義仲の田舎育ちの粗野な言動が強調されています。 【大蔵幕府・東御門跡】 いっぽう頼朝は、鎌倉に大蔵御所を建て、着々と地盤固…

源平の人々に出会う旅 第21回「滋賀県・比叡山」

寿永2年(1183)、北陸を勝ち進んだ義仲は越前国府に布陣し、京都の玄関口となる比叡山の大衆(だいしゅ)に味方に付くよう牒状(手紙)を送ります。比叡山は東塔・西塔・横川の3区域からなっており、東塔・根本中堂が延暦寺の総本堂に当たります。 【東塔・…

源平の人々に出会う旅 第20回「太宰府・玄昉」

寿永2年(1183)5月、北陸の合戦で平家軍は惨敗します。都では、戦乱の収束後に天皇の伊勢神宮行幸を行う旨の勅命が出ます。伊勢神宮行幸は、藤原広嗣の乱(天平12年(740))の鎮圧の際に、聖武天皇が初めて行いました。 【太宰府政庁跡】 聖武天皇の朝廷で…

源平の人々に出会う旅 第19回「加賀・篠原合戦」

寿永2年(1183)5月に倶梨伽羅峠で惨敗した平家軍は、加賀国へ退きますが、源氏に追撃され、篠原で激戦となります。 【多太神社(小松市)】 平家方の斎藤別当実盛は、老武者と侮られまいと、白髪を墨で染めて戦場に臨みました。多太神社には義仲が奉納したと…

源平の人々に出会う旅 第18回「北陸・倶梨伽羅落」

燧ヶ城落城の知らせを聞いた義仲は越中へ向かいます。『源平盛衰記』では、寿永2年(1183)5月9日に先鋒隊の今井兼平軍が般若野(砺波市)で勝利をおさめます。義仲は軍勢を七手に分け、自らは埴生庄(小矢部市)に布陣しました。 【護国八幡宮(埴生八幡宮…

源平の人々に出会う旅 第17回「越前・火打合戦」

頼朝と和睦をした義仲は北陸道を目指します。都では平維盛・通盛らが義仲討伐のため大軍を率いて北陸に向かいます。 【湯尾峠】 『源平盛衰記』には、義仲が越前に派遣した仁科・林・富樫らの軍勢は「柚尾ノ峠(湯尾峠)」に布陣し、燧ヶ城を築いたとありま…

源平の人々に出会う旅 第16回「長野県・清水冠者」

『平家物語』には、寿永2年(1183)3月頃、従兄弟である頼朝と義仲の間に不和が生じ、頼朝は軍勢を率いて信濃へ向かったとあります。 【善光寺(長野市)】 諸本によって内容が異なりますが、覚一本では頼朝は善光寺に入り、今井兼平と交渉します。参道入口…

源平の人々に出会う旅 第15回「長野市・横田河原合戦」

『平家物語』において、木曽義仲の活躍が最初に描写される合戦は横田河原合戦です。『平家物語』には、諸本間で大きな異同があったり、史実とは異なる日時に設定されるエピソードがありますが、横田河原合戦もそのうちの一つです。 【横田城址】 平家方の越…

源平の人々に出会う旅 第14回「武蔵嵐山・義仲誕生」

平家討伐を呼びかけた以仁王の令旨を受け取った源氏の一人に、木曽の義仲がいます。父義賢は上野国多胡郡を本拠地としましたが、久寿2年(1155)、悪源太義平に武蔵国大蔵館で討たれてしまいました。 【鎌形八幡神社(義仲産湯の清水)】 義賢は秩父重隆を養…

源平の人々に出会う旅 第13回「神戸・築島(経ヶ島)」

平忠盛・清盛父子は日宋貿易にも力を注いでいました。特に清盛は貿易のための港や航路を整備します。大輪田の泊り(神戸港)の改修工事もその一つです。 【厳島神社(兵庫弁天)】 承安3年(1173)頃、清盛は風の強い大輪田の泊りに防風の目的で築島(経ヶ島…