源平の人々に出会う旅

源平の人々に出会う旅 第65回「北本市・蒲冠者範頼伝説」

源氏軍の大手の大将軍として平家軍と戦った蒲冠者範頼は、搦め手の大将軍である弟義経の活躍に押されて目立たない人物です。また、兼好法師の『徒然草』に「蒲冠者のことはよくは知らざりけるにや、多くのことどもをしるしもらせり」とあるように、『平家物…

源平の人々に出会う旅 第64回「市川市・千葉県の頼朝伝説」

治承4年(1180)8月、石橋山で惨敗した頼朝は船で房総半島に渡り、千葉一族を味方に付けて再起しました。安房国から上総国を経て下総国に入ります(『吾妻鏡』)。そのため、下総国府(市川市国府台)周辺には頼朝伝説が点在しています。 【白旗天神社】 市…

源平の人々に出会う旅 第63回「東京・志田義広」

志田三郎先生義広(信太義憲などとも)は源為義の三男で、常陸国信太荘(稲敷市)に居住していました。『平家物語』ではあまり目立たない人物ですが、甥の頼朝とは犬猿の仲です。 【明王院(赤不動)】 寿永2年(1183年)2月、義広は頼朝軍と野木宮(栃木県…

源平の人々に出会う旅 第62回「姫路市・弁慶と書写山」

誰もがよく知る武蔵坊弁慶は、意外にも『平家物語』にはほとんど登場しません。その生涯は『義経記』や御伽草子『弁慶物語』に詳しく記されています。熊野別当の子として、超人的な能力を持って生まれた鬼若(弁慶の幼名)は、比叡山に預けられました。しか…

源平の人々に出会う旅 第61回「横浜市・畠山重忠の最期」

元久2年(1205)6月22日、由比ヶ浜で畠山重保が騙し討ちされます(第60回「鎌倉市・御家人その後」参照)。父重忠は、居住地の菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町)から鎌倉に向かう途中、二俣川(横浜市旭区)で北条義時軍に襲撃されました。 【二股川古戦場・さかさ…

源平の人々に出会う旅 第60回「鎌倉市・御家人その後」

源平合戦を勝ち抜き、鎌倉幕府を開いた頼朝を支えたのが御家人たちです。しかし、頼朝の死後、梶原氏、和田氏などの有力御家人達が次々に滅ぼされたことが『吾妻鏡』に記されています。 【比企能員一族の墓(妙本寺)】 比企氏は、頼朝の乳母である比企尼の…

源平の人々に出会う旅 第59回「大内宿・以仁王伝説」

治承4年(1180)5月、高倉宮以仁王と源頼政が打倒平家を志しますが、敢えない最期を遂げます。覚一本『平家物語』では、平家が頼政の首を回収出来ず、史実においては以仁王の死が不明瞭なことから、その後の二人の伝説が全国各地に広がります。 【大内宿】 …

源平の人々に出会う旅 第58回「熊谷市・長井斎藤別当実盛」

『平家物語』の有名な逸話の一つに、加賀篠原の戦い(寿永2年=1183)で白髪を墨で染めて討死する斎藤実盛の話があります。実盛は北陸の生まれでしたが、源氏の家人として東国に館を構えていました。 【長井斎藤別当実盛館跡】 『平家物語』に「長井斎藤別当…

源平の人々に出会う旅 第57回「京都・怨霊の恐怖」

『平家物語』には、しばしば怨霊への恐れが記されます。たとえば、巻三「赦文」では、中宮徳子の難産は、讃岐院(崇徳院)や悪左府藤原頼長、早良親王、井上内親王らの死霊や、鬼界ヶ島の流人達の生霊が原因と考えられたとしています。 【御霊神社(上御霊神…

源平の人々に出会う旅 第56回「駿河・海道下」

元暦2年(1185)、壇の浦の合戦で平家が滅びた後、捕虜として京と鎌倉を往復したのが、一の谷で生け捕られた平重衡と、壇の浦で生け捕られた平宗盛父子です。 【小夜の中山】 『平家物語』では、寿永3年(1183)に重衡が鎌倉へ護送されるまでの道程を、地名…

源平の人々に出会う旅 第55回「神奈川県・三浦一族」

頼朝挙兵時から、頼朝に従った武士達の中に三浦一族がいます。三浦義明をはじめ、和田義盛、朝比奈三郎、石田為久など、有名な人物が数多く存在します。語り本系の『平家物語』には、ほとんど記されていませんが、読み本系諸本や『吾妻鏡』には、頼朝の挙兵…

源平の人々に出会う旅 第54回「鳥羽・3人の院」

平清盛によって平家は栄華を極めましたが、その礎を築いたのは父忠盛です。覚一本『平家物語』では、巻一「殿上闇討」にその一端が記されます。 【鳥羽天皇陵(安樂壽院陵)】 地下(じげ)平氏であった忠盛は、鳥羽院の御願寺・得長寿院を建立した功績によ…

源平の人々に出会う旅 第53回「足利・足利氏」

源平合戦には諸国の源氏が参加しましたが、その一つが足利氏です。足利氏の祖は八幡太郎義家の子義国で、その子に義康や新田氏の祖となる義重がいます。 【足利氏宅跡(鑁阿寺)】 義康の子義兼は栃木県足利市を本拠地とし、現在の鑁阿寺に居館があったとさ…

源平の人々に出会う旅 第52回「鎌倉・鎌倉幕府」

『平家物語』諸本は、「灌頂巻」で終わるものと、六代斬られ(断絶平家)で終わるものとに大きく分けられますが、延慶本はさらに頼朝讃辞を付け加えて終わります。 【源頼朝像(源氏山公園)】 文治5年(1189年)、奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、軍事面での全…

源平の人々に出会う旅 第51回「京都・灌頂巻」

『平家物語』の諸本は、読み本系と語り本系に分類できますが、語り本系はさらに「灌頂巻」の有無によって一方系と八坂系に分類されます。一方系には巻12の後に、建礼門院徳子の後日談をまとめた「灌頂巻」があります。 【長楽寺】 壇の浦合戦後、建礼門院は…

源平の人々に出会う旅 第50回「相模・平家その後」

元暦2年(1185)、北条時政に連行された六代御前は駿河国千本松原で斬首されそうになりますが、文覚が頼朝を説得したことで処刑が中止になります。六代は京へ戻り、文覚の弟子となって、後に出家します。 【文覚上人屋敷跡】 文覚は、配流先の伊豆で頼朝と出…

源平の人々に出会う旅 第49回「高雄・六代と文覚」

元暦2年(1185)の壇の浦合戦後、頼朝は都に北条時政を派遣して、叔父の義憲・行家を粛清すると同時に、平家の血を引く男子を探し出し、次々と殺害していきます。そして、平家の嫡流・維盛の子である六代御前も発見されてしまいます。 【神護寺楼門】 維盛の…

源平の人々に出会う旅 第48回「平泉町・義経の最期」

元暦2年(1185)、頼朝との確執により、北陸へ逃れたとされる義経は、その後、奥州平泉の藤原秀衡を頼ります。その間に頼朝は、後白河法皇に要請して、義経逮捕を名目に、全国に守護・地頭を設置することに成功します。 【高館義経堂】 文治3年(1187)10月…

源平の人々に出会う旅 第47回「石川県・義経北国落」

文治元年(1185)、義経は、腰越から都へ戻る途中、護送していた平宗盛父子を近江国で処刑します。その後、頼朝から義経暗殺を命じられた土佐房昌俊は、六条堀川の義経の宿所を襲撃しますが、失敗して義経に斬首されます。11月、義経は船で九州へ逃れようと…

源平の人々に出会う旅 第46回「三浦市・頼朝の三御所」

平家滅亡の後、次々と近親者を粛清した頼朝は、着々と鎌倉幕府の体制を整えていました。『平家物語』からは外れますが、『吾妻鏡』には、建久3年(1192)に征夷大将軍となった頼朝が、その2年後の閏8月1日に、三浦の津に山荘を建てるという記事があります。…

源平の人々に出会う旅 第45回「修善寺・範頼最期」

平家滅亡後、義経を都へ追い返した頼朝は、今度は義経を暗殺しようとします。義経は奥州へ逃亡しますが、伯父の行家、義憲と次々に親族を排除していきます。もう一人の弟範頼も例外ではありませんでした。蒲冠者範頼は、蒲御厨(静岡県)出身とされ、『平家…

源平の人々に出会う旅 第44回「鎌倉市・腰越状」

元暦2年(1185)3月24日、壇浦の合戦で平家の総大将宗盛と子息清宗は捕虜となり、義経は二人を鎌倉へ連行します。ところが頼朝は、捕虜を受け取り、義経は腰越に留めて鎌倉へ入れませんでした。梶原景時の讒言を聞き入れていたからです。 【満福寺】 覚一本…

源平の人々に出会う旅 第43回「落人伝説・安徳天皇」

元暦2年(1185)3月24日、平家一門と供に壇の浦に沈んだ安徳天皇ですが、実は密かに落ち延びた、などの伝説が日本各地に点在しています。 【水天宮】 久留米市にある水天宮は、全国にある水天宮の総本山で、天之御中主神・安徳天皇・平徳子・二位尼時子を祭…

源平の人々に出会う旅 第42回「下関市・壇浦合戦」

元暦2年(1185)2月、義経軍は、讃岐の志度合戦後に田内左衛門教能(のりよし)を捕らえていました。教能の父は平家と行動を共にしている阿波民部重能です。 【壇浦(赤間ヶ関)】 3月24日、壇浦で源平最後の戦いが行われます。知盛は阿波民部の様子に異変を…

源平の人々に出会う旅 第41回「紀伊田辺・湛増と弁慶」

元暦2年(1185)2月、讃岐国屋島で勝利した義経軍は、同国志度合戦の後、周防国(山口県)へ向かい範頼軍と合流します。 【闘鶏神社】 熊野別当湛増は、田辺の新熊野(闘鶏神社)において、源平どちらの味方につくべきかを占います。治承4年(1180)、以仁…

源平の人々に出会う旅 第40回「那須・扇の的」

元暦2年(1185)2月、義経は少数の兵で阿波国勝浦に上陸し、讃岐国屋島にある平家の館を襲撃します。海上へ逃れた平家との、陸と海との戦いとなり、源氏方の佐藤嗣信が能登守教経に射殺されてしまいます。 【那須温泉神社】 日が傾くと、平家船が陸に近づき…

源平の人々に出会う旅 第39回「摂津・逆櫓」

元暦2(1185)年2月3日、範頼・義経軍は、屋島(高松市)に拠点を置く平家を追討する為に京都を出発しました。 【渡辺の津】 範頼軍は神崎の津(尼崎市)、義経軍は渡辺の津(大阪市)から、船で屋島に向かおうとしますが、激しい暴風雨に足止めされ…

源平の人々に出会う旅 第38回「倉敷市・藤戸合戦」

元暦元年(1184)3月、維盛は那智の沖で入水し、7月には後鳥羽天皇が即位しました。9月になると、源氏の範頼軍は播磨国に入り、平家軍は備前国藤戸に布陣します。両者は海を隔てて対峙したたまま日を送っていました。 【盛綱橋】 漁夫から密かに浅瀬を聞き出…

源平の人々に出会う旅 第37回「紀州・横笛」

元暦元年(1184)3月、高野山に入った平維盛が訪ねたのは滝口入道でした。滝口入道は、かつて小松殿(維盛の父・重盛の館)に出仕する斉藤時頼という侍でした。時頼は建礼門院に仕える横笛と恋仲になりました。この話は『平家物語』の諸本によって差異があり…

源平の人々に出会う旅 第36回「紀州・高野山」

元暦元年(1184)3月、平家一門のいる屋島から脱出して紀州へ入った維盛主従は、ある人物を訪ねるために高野山へ向かいます。 【高野山 根本大塔】 高野山は、平家にゆかりの深い地です。若き日の清盛が安芸守の時に、高野山大塔の修復を命じられます。この…