源平の人々に出会う旅 第81回「尾道市・義仲遺児と覚明」

 木曽義仲の嫡子清水冠者の名は、覚一本『平家物語』は義重としますが、一般的には『吾妻鏡』の義高で呼ばれることが多いです。長門本平家物語』では、弟が3人、妹が1人おり、次男の幼名を力寿とします。日本各地には力寿と義仲遺臣らの落人伝説が点在し、共通点は元服した力寿が義重と名乗ることです。

【覚明神社】
 尾道駅の正面に浮かぶ向島には、義重と太夫坊覚明(義仲の右筆)らが上陸し、この地を開拓したという伝承があります。島内の覚明神社は、義仲・義重・覚明を祀っています。


【亀森八幡神社
 宇佐宮(宇佐八幡宮)を勧進したとされる亀森八幡神社の社伝には、文治三年(1187)に義重が再建したとあります。


【三十六苗荒神
 その後、覚明と義重は36人の遺臣を残して島を去ったとし、後年、島の人々は遺臣らの遺徳を称え、三十六苗荒神として祀ったということです。『平家物語』の登場人物には開拓に携わったとの伝承を持つ者もおり(祇王や妹尾兼康など)、向島の伝承もその類型なのかもしれません。


〈交通〉
JR山陽本線尾道駅からフェリー
         (伊藤悦子)