「祇園精舎の鐘の声」から始まる『平家物語』の有名な冒頭の一節では、「おごれる人も久しからず」の日本の例として、「承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼」をあげています。承平年間(931~938)に起こった平将門の乱については『将門記』に詳しいですが、『平家物語』にも度々引用されています。
【平将門の首塚】
将門は伯父の国香を殺害し、その後、新皇と称して関東一帯を占拠します。しかし、国香の子貞盛や藤原秀郷らに討たれてしまいます。この国香や貞盛の子孫が清盛の一族です。大手町のビル街の一角にある将門の首塚は、京都に晒された首が空を飛んでこの地に落ちたとされ、都内屈指の心霊スポットとしても有名です。
【神田神社(神田明神)】
将門の怨霊は人々に恐れられ、神田明神に祀られます。天変地異などが怨霊の仕業と考えられていた時代は、怨霊を鎮めて、その魂を御霊として祀ることで平穏を回復しようとしました。これを御霊信仰といいます。
【江戸神社】
神田神社の境内に江戸神社があります。鎌倉時代には江戸氏の氏神とされていました。江戸氏は秩父氏の一族で、『平家物語』にも登場しています。頼朝挙兵時、江戸氏は平家方でした(のち頼朝に寝返る)。『源平盛衰記』では、衣笠合戦(治承4年(1180年))の際、衣笠城に残った三浦大介義明を江戸太郎重長が斬っています。