源平の人々に出会う旅 第58回「熊谷市・長井斎藤別当実盛」

 『平家物語』の有名な逸話の一つに、加賀篠原の戦い(寿永2年=1183)で白髪を墨で染めて討死する斎藤実盛の話があります。実盛は北陸の生まれでしたが、源氏の家人として東国に館を構えていました。

【長井斎藤別当実盛館跡】
 『平家物語』に「長井斎藤別当実盛」とあるように、実盛は武蔵国長井庄(埼玉県熊谷市北部)に居住していました。現在は、福川沿いに実盛館跡の碑が建つのみです。

f:id:mamedlit:20211106123101j:plain


妻沼聖天山歓喜院
 群馬県上野国)との県境に近い妻沼聖天山は実盛の創建と伝わります。上野国は義仲の父源義賢の本拠地でしたが、義賢は武蔵国大蔵館で甥の悪源太義平に討たれてしまいます(久寿2年=1155)。『源平盛衰記』では、その時、実盛が赤子の義仲を密かに木曽へ逃がしたことを記しています。

f:id:mamedlit:20211106123413j:plain

 

斎藤実盛像(妻沼聖天山)】
 『平家物語』によると、義仲の乳母子樋口兼光は、児玉党との縁で武蔵国に通い、実盛とは同僚の間柄でした。そのため、討たれた首を一目見て、すぐに実盛だと気付いたのです。

f:id:mamedlit:20211106123511j:plain

 

〈交通〉
JR高崎線熊谷駅よりバス
       (伊藤悦子)