源平の人々に出会う旅 第60回「鎌倉市・御家人その後」

 源平合戦を勝ち抜き、鎌倉幕府を開いた頼朝を支えたのが御家人たちです。しかし、頼朝の死後、梶原氏、和田氏などの有力御家人達が次々に滅ぼされたことが『吾妻鏡』に記されています。

比企能員一族の墓(妙本寺)】
 比企氏は、頼朝の乳母である比企尼の一族です。比企能員は、娘の若狭局が二代将軍頼家の側室となり一幡を産んだことで勢力を増し、北条氏を討とうとしますが、先手を打たれて滅ぼされてしまいます。(建仁3年(1203)9月 比企の乱)

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畠山重忠邸跡】
 実直で「坂東武士の鑑」と称される畠山重忠も、北条政子の命令で比企氏討伐に参戦していました。しかし、元久2年(1205)6月、謀反の疑いをかけられ、北条義時軍に攻め滅ぼされてしまいます。

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【畠山重保邸跡と重保墓】
 ことの発端は、重忠の子重保(母は北条氏)と平賀朝雅北条時政の後妻牧の方の娘婿)との対立とされています。重保は、重忠討死よりも先に、由比ヶ浜三浦義村に討たれています。

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〈交通〉
JR横須賀線鎌倉駅
    (伊藤悦子)