源平の人々に出会う旅 第78回「鎌倉市・永福寺」

 文治5年(1189)閏4月、奥州に逃れていた義経は、藤原泰衡の裏切りによって討たれます。同7月、頼朝は泰衡を征伐するために奥州へ出発し、ついに奥州藤原氏を攻め滅ぼしました。(『吾妻鏡』)

永福寺跡
 同12月9日には、永福寺の事始めがありました。永福寺は、頼朝が戦没者の霊を慰めるために、大倉幕府の東(現在の二階堂)に建立した寺です。

 

永福寺全容】
 永福寺は、奥州の中尊寺や無量光院、毛越寺などを模したとされており、中堂(二階堂)を中心に、南に阿弥陀堂、北に薬師堂が配置されています。毛越寺庭園を彷彿とさせる正面の大きな池は「堂前の池」と呼ばれ、ひょうたん型になっています。


阿弥陀堂
 その後、度々火災に見舞われたようですが、応永12年(1405)の火災の後、廃寺となり、再建されませんでした。


〈交通〉
JR横須賀線鎌倉駅
    (伊藤悦子)