龍門文庫本保元物語

阿部亮太さんの口頭発表「龍門本『保元物語』本文編者の関心」(軍記・語り物研究会第428例会 オンライン)を視聴しました。

会からの通知では事前申し込みは不要だったので、40分ほど前にPCの前に座りましたが、通知には会のHPのURLが書いてありません。グーグルで検索してもヤフーでも出て来ず、日本学術研究支援協会のサイトに掲載された旧URLが出るばかりです。文学通信社が去年ツイートした新URLをクリックして、ようやく入ることができました。しかし発表資料を印刷する暇はなく、共有画面で見ることになりました。参加者は34名でしたから、我が家の端末だけの問題だったのでしょうか。会員外の来聴も可としている以上、公式サイトが素早く検索できるようにしておいて欲しいと思いました。

そういう次第で、発表内容を詳しくメモできなかったのですが、保元物語諸本の中でも取り合わせ本である龍門文庫本を取り上げ、一類本・流布本的な本文と他の諸本や平家物語諸本の本文を採り入れているらしい後半部分(前半部分はほぼ四類本系統)について考察した発表でした。清盛対義朝という構図を浮き彫りにしようとする傾向があり、それは保元の乱が源平抗争の時代の始まりであるという観点に立つものであること、従者の倫理や立場を説く姿勢がつよいこと、西行訪墓説話(白峰)については、源平闘諍録や源平盛衰記との共通点が多いので、読み本系平家物語を参照したらしいと推測しました。

西行訪墓説話は私も大学院時代に考察したことがあり、結論にはほぼ賛成ですが、中世の平家物語、殊に読み本系は、今は喪われた本文がさまざま浮遊していたらしく、現存の一本と直線的な関係を想定すると、全体の見通しを立てる際に困る可能性があります。阿部さんは龍門文庫本の翻刻を計画しているそうで、楽しみに待つことにしましょう。

免疫力頼み

正月に活けた赤目柳が、落花生のような皮を脱ぎ、マフのように膨らんで、銀白のふわふわの中に黄色い雄蘂が交じり、春を待つ風情で一杯になりました。大きな花瓶には松とオレンジ色のガーベラ、それに日陰葛を添え、洗面台の小さな器には萎れ始めた庭先のミニ鶏頭と観賞用唐辛子を剪って詰め込みました。植物の名としては猫柳だと思っていたのですが、赤目柳と猫柳は別物なんですね。すぐ発根するので、去年は春になってから鉢に植え込んでみたのですが、枯れはしないものの成長しませんでした。水辺の木なので、鉢では無理なようです。今年もすでに発根していて、何だか不憫です。

正月には、笛を咥えた獅子の絵柄の藍染布を花瓶の下に敷きました。節分まではこうしておいて、豆菓子を梅花を摺った盆に載せ、飾っておきます。雛祭が近づいたら、赤い布を敷いて、雛あられ代わりの金平糖と桃の花を飾ることにしているのです。

庭先のプランターを少しずつ、パンジーに植え替え、素馨花の蕾も出て、今待っているのはムスカリの蕾。去年早く掘り上げすぎたので球根が小さく、心配しています。室内の胡蝶蘭は2株とも花茎が出て、頂いた年以来の快挙。贈ってくれた人はもう亡くなりましたが、報告したい気になります。逆に椿は昨夏に刈り込んだのがいけなかったらしく、今年は蕾がつきません。来年にはきっと、と考えてしまう自分に苦笑しています。

政府と専門家会議のコロナ対策は、迷走し始めた感があります。検査なし、診察なしで、どうやって感染規模を把握し、抑制できるのでしょう。もう自分の免疫力に頼るしかないね、とエノキさんと話しました。落語と茸がいいそうです、とのこと。茸料理は胡椒をたっぷり振るのがコツ。平茸(今昔物語集以来の美味です)をバタと胡椒で炒めて、醤油をちょっと垂らすと、美味しい。エリンギは塩胡椒炒め、椎茸は網火焼がお奨めです。

バウムクーヘン

美容院へ散髪に行ったら、あるじ(安くていい買い物をするのが自慢の人)が、正月3日には、息子の嫁の一家と神楽坂で会食をした、という話をしました。お互いにプレゼント持参で、彼は行きつけの紙屋で気に入ったメモ帳を見つけたので先にそれを買い、+αの品はバウムクーヘンにしたと言う。スマホで撮った写真を見せられましたが、なるほど可愛い表紙のメモ帳でした(美容師は画才が必要らしく、年齢に似合わぬメルヘンチックな図柄。但し先方は、バウムクーヘンに添えられたαと思ったでしょう)。

バウムクーヘンは孔が開いているから、見通しがいいし、年輪を重ねるという意味でも縁起がいい、年賀にはぴったりだった、と自慢するので、うーん、それは製造元に言ってやったら宣伝に使えて喜ばれるかもしれない、と言ってやりました。

バウムクーヘンは、本国のドイツよりも日本で人気が出た菓子だそうです。調べると第1次世界大戦の捕虜だったカール・ユーハイムという菓子職人が日本へ持ち込み、1919年3月4日に広島で披露されたのが日本でのお目見え、それゆえ3月4日はバウムクーヘンの日なんだそう(雛祭の翌日で、色とりどりのフランス菓子、マカロンの方が似合う気がしますが)。弊国で普及し始めたのは1960年代、とあって、思い当たりました。

学部時代、国文科は日葡辞書を引く必要があるので、第2外国語に仏蘭西語を履修することを勧められました。当時、ユーハイムバウムクーヘンがちょっと高級な菓子として出回り始め、couperという単語を習いたてだった私が同級生に、バウムは木、クーヘンは切り株という意味かなあ、と疑問符つきで話したところ、彼女は独逸語を習っている彼氏に向かって断定的にそう解説し、彼から菓子だよ、と言われ、そうそう、あのお菓子よ、貴方も知ってる?と珍妙な会話をしたそうです。

コロナの街・part 22nd

毎晩ニュースで視るコロナ感染状況の日本地図が、あっという間に真黄色になり、更に赤くなり、猛スピードで新株が拡がっています。各地で蔓延防止対策が出されましたが、認証・非認証、また人数制限による区別がどれだけ効果があるのか分かりません。ワクチン追加接種の前倒しを指示する政府のタイミングも、現場にとっては最も悪い時期だったのではないか。都内の高校に勤める教え子から、こんなメールが来ました。

【職場では1月に入ってから、オミクロン株の流行が始まり、生徒にも教師にも感染者が出ています。生徒たちへの広がり方を見ていると、今までの変異株とは明らかに異なっていることを実感させられます。保健所は「マスクを外した状態で15分」が濃厚接触者、という判定を変えませんが、オミクロン株に関してはマスクをしているかどうかはもはや問題ではないなと思います。マスクをしている状態であっても、簡単に感染するようだからです。

現場としては、マスクを外して陽性者と10分程話してしまったような生徒は、濃厚接触者として自宅待機してもらいたいと思っていますが、保健所の判断では濃厚接触者にならず、登校を許可せざるを得ません。このような状況では、いつ自分が感染してもおかしくないため、常に緊張しています。

感染した生徒たちや教員に聞くと、半数が「2〜3日、インフルエンザと同等の辛さ」、もう半数が「少しの微熱と喉の痛み」だそうで、あまり重症化はしないようです。とはいえ持病のある生徒は入院治療もしており、やはりただの風邪ではないと思います。】

高齢者や持病のある人に感染拡大すれば、また医療崩壊が起きる。発症しない陽性者が多いだけ、却って予防には念を入れて、と考えるのが正解なようです。

雲丹

年末に下関から雲丹が届き、正月は贅沢な気分でした。父方が博多出身の我が家では、かつては郷里からの手土産だった、独特の厚手硝子瓶に入った雲丹の塩漬です。子供の頃は苦手でした。父と正月のお客たちは浜田庄司作の黒い小皿にちょっと載せて酒肴に、家族は熱々の白飯に載せて頂くのですが、子供にとっては、アルコールや雲丹独特の匂いがなじめなかったのです。しかし今は、雲丹をちびちび舐めながら呑む日本酒は、よくぞ日本に生まれけり、だと思うようになりました。

父は戦後すぐ、青森へ出張した時に、宿の朝食に丼一杯のオレンジ色の物が出され、南瓜だと思って箸をつけなかったら、女将から「ウニはお嫌いですか」と訊かれて、今思い出してもあれは惜しい、と言っていました。戦中戦後、甘藷と南瓜が主食代わりだった時期があって、彼の世代には、甘藷と南瓜はもう一生分食ったから食わない、という人がよくいたのです。当時は流通ルートがなく、生ウニは地元で大量消費するしかなかったのでしょう。博多でも、雲丹と言えばアルコール処理をした塩漬(練り雲丹)でした。

生のウニが寿司屋で食べられるようになった(高価だけど)のは、いつ頃からだったでしょうか。鳥取在住時代、同僚に連れて行かれた倉吉の大衆食堂のウニ丼は、米飯が見えないくらいウニが山盛りで、感激しました。生ウニはレモンを絞っただけでも美味しい。

学部時代、一般教養の化学の女性教官が、ライフワークとしてやってきたウニの角の色素分析について楽しそうに語り、ほんものの学者の姿を見せて貰った記憶として心に残ったことは、かつて大学の入学式で歓迎講演として話しました。ウニにもいろいろ種類があって、殻の角(棘)1本がパイプくらいあるものもいるらしい。

下関の唐戸市場には、ウニソフトクリームというB級グルメがあり、結構いけます。

ワクチン・その7

区から、COVID19ワクチン追加接種券が来ました。まず区報特集号が配られ、それを見ると、私が該当する接種券は14日に発送することになっていましたが、受け取ったのは18日。区役所も郵便局本局も歩いて行ける近さにあるのですが、郵便が土日を休むことになったので、配達には4日かかったわけです。新株は区内でも急激に感染拡大、若者と子供の感染者が多いというので、その年代が多く出歩いているこの界隈の老人としては、1日も早く受けたいと思って開封すると、65歳以上は8ヶ月後の接種日と会場を区が指定する、前倒しで接種したければ指定日の解約と新たな予約を自力で、とあり、前倒しと言っても2回目接種後7ヶ月、製薬会社は選べないらしい。

たしか総理は施政方針演説で、「高齢者には6ヶ月間隔、一般向けは少なくとも7ヶ月で3回目接種」と言ったはず。しかしすでに準備を始めていた現場では、間に合わなかったのでしょう。私の場合、3月13日以降の接種日時と会場指定通知が、2月12日以降に来ることになるのでした。しかも会場は区役所の最上階(25階です!)らしく、狭いEVに乗って混雑する場へ行くリスクもあります。

やれやれ。役所の仕事としては平均的な水準かもしれませんが、読み慣れない人が自らの該当する条件を広報から探り当てるにはかなり複雑な書きぶりで、これは当日、会場へ現れない老人も出るのでは、と余計な心配をしました。

罹ってもインフルエンザ並み、と言われ始めた新株。これでウィルスの進化が一段落し、人間との共存可能な範囲に定着してくれれば有難いのですが、デルタ株も未だ街中に生存しており、発症しない陽性者が元気に任せて動き回れば、感染する危険は一気に拡大します。せめて新学期からは、大学構内への立ち入りが自由になることを祈りたい。

血のつながり

数日前、朝刊にこんな全面広告が出ていましたー愛に、血のつながりがいらないことは 夫婦がいちばん知っている。おや、と思ってよく見ると、「特別養子縁組という選択肢 厚生労働省」とあります。野暮な役所として知られた厚労省にしてはヒット、と感激しそうになりましたが、2020年度朝日広告賞に入選した作品らしい。

不妊治療に健康保険が使えるようになり、それはそれで意義があることかもしれませんが、私がずっと引っかかっているのは、夫婦に子供は必ず必要か、そしてそれは必ず血を分けた子でなければならないのか、という疑問です。無理な体調管理のために夫婦仲が悪くなったり、社会活動に支障が出たり、他者の臓器を利用したりしてまで、「血」に拘らなければならないのか。同性同士の「結婚」でも、無理な「血」のつなげ方を試みる場合があるらしい。私の子を残したい、と言われると利己主義を感じますが、この人の子を、という気持ちは愛の一種ではあるのでしょう。

一方で、望まぬ妊娠をした女性が匿名で、しかし産もうと決意して産院に相談した例もありました。私はそういう事情下で、何とか産んでやりたいと思った彼女の決意に打たれました。でも子供を持つことは、産み落とした時点では終わらず、育て上げる過程に尊さがあります。次世代を手許で育むのが結婚に伴う大事業であることは確かで、それなら、大事業を2人で協同で果たすこと自体に意義を見いだしてもよいのでは。

家制度が強固だった時代、日本でも戦災孤児がいた時代には、養子縁組は稀ではなく、当事者が非難されることではありませんでした。血がつながっていなくても共に暮らし、大人になるまでの手助けはどうすれば可能になるか、その障害を取り除くのが厚労省の仕事。広告は2月5日のオンラインシンポジウムのものでした。youshi@asahi.com