鯖缶

越前だよりの大谷貞德さんから、福井の水産高校が作ったサバ缶が宇宙食に採用されるまでがドラマになって放映される、との知らせが来ました(フジテレビ系「サバ缶、宇宙へ行く」月曜9時)。去年5月にNHKの「新プロジェクトX」でも放映されたのだそうですが、私は視ていません(あの番組は「2匹目の泥鰌」臭が鼻につくので)。

早速初回を視聴しました。少し早めにTVのスイッチを入れたら、前番組のクイズでしっかり番宣をやっている(最近、こういうやり方が多い)。オープニングでは、宇宙を想起させるCG画面が豪華に作られていました。高校に赴任した新人教師と生徒の荒廃ぶりがステレオタイプで描かれるのにややうんざりしながら、しかし合間に挟まれる若狭湾の風景の美しさには、感嘆しました(殊に銀河の映像が綺麗でしたが、大谷さんに訊くとこれは現実ではないらしい)。ロケには実際に閉校した水産高校の校舎が使われたとのこと。

ウェブで調べてみました。小浜水産高校では、開校翌年の明治29年以来、附属の食品工場で鯖缶を製造し、多い時には1万個を作っていたが、2013年に若狭高校と合併してからは製造よりも食品管理などの科目に力点を移していたのだそうです。2014年から宇宙食の食品基準HACCPに応募、2018年に認証を獲得、翌年国際宇宙飛行ステーションから、試食の映像が流れた、とあります。

宇宙日本食「サバ醤油味付け缶詰」 | 福井県立若狭高等学校

キャッチコピーは「鯖街道を宇宙まで」だったそうで、以後は地域への還元を目指して製造、販売するようになったとのこと。宇宙向けに味付けが濃く、葛粉で粘性を加えているそうで、高齢者食にもいいかもしれません。しかし今や日本は、鯖需要の6割をノルウェーから輸入しています。かつては庶民的な下魚でしたが。

負の感情が人を救う

先週、購読紙の投書欄に載った1通の短い投書がずっと心に残り、いまも考えさせられています。30代のソーシャルワーカーが、子供の自殺対策について書いた投書です(朝日朝刊4月7日付東京版「声」)。

参議院予算委員会で子供の自殺対策について問われた首相答弁で、命の貴さを先祖まで遡って幸運の結果だと考えさせたい、という趣旨が述べられたことへの懸念でした。自分の仕事を通じて、複雑な家庭環境の中で、親からの虐待など自分の力ではどうにもならない苦しみを背負う若者は少なくないのを見ていると、「彼らに、自分の運命や環境を恨むことくらい許してあげたい」というのです。

家族を大切にとか、親は子供を愛しているのが当然だとか、「「当たり前」を前提にした道徳は時に人を追い詰める」という。人はそれぞれ多様な環境にある、そうしたことへの想像力を以て子供の自殺対策はなされなければならない、と。

うーむ、深い。現場をよく知った、本物のソーシャルワーカーだ、と思いました。困った時、こういう人に出会いたい。どこで出会えるかわからないけれど。

ぎりぎりの状況では、ときに負の感情が人を救う。憎むこと、恨むことで自分を殺さずに生き延びることができる場合があるのだとは、当の本人さえもずっと後になって理解するほどの真理です。あるいは、軽蔑することで憎まずに済む場合もある。

学生時代、あの人は弱い者のことが解らない人だよね、と言われて上に奉られる人がいました。本人は実力だと思っていたでしょうが、じつは敬遠。しかしそれで一生通ってしまえば後世の評価は名士となる。一国の最高権力者には、弱い者の心理を理解する習慣はないかも知れません。しかし必要はない、とは思わないのですが。

川越便り・草退治篇

川越の友人から抜刷を送ってきたのですが、私は今のところお返しする活字がないので、佐藤達夫『植物誌』を送りました。気に入ったらしく、拾い読みしながら昨日今日、庭の草退治に汗を流しているとの写メールが来ました。

ドクダミに熱湯を掛けたり、鋏で切って光合成できないようにしたりしているが、花は案外綺麗で捨てがたい、という。そう、ドクダミの花は意外に清楚ですが、何しろあの臭気と繁殖力がいけません。干して茶葉にするといいとも言われますが、あれは毒を以て制すという類の薬草、という評価がせいぜいでしょう。タケニグサに手を焼いている、ともメールにはあって、あれは荒地で遠く見る分には、堂々たる草姿がいいけれど、庭で闘う相手ではない。水引草も厄介だとありましたが、あの赤い細い花穂が初秋の風に揺れる風情は、立原道造の詩を口元に呼び寄せます。

エキウム・ブルーベッター

へえ、これはあんまり見たことがない。調べると地中海沿岸辺りが原産で、花は食用にもなるという。なるほど陽光をたっぷり浴びて育った感があります。

黄花碇草

花の形が碇草より蘭に似ているなと思いましたが、裏側から撮ったかららしい。山野に自生もしているそうですが、私は見たことがありません。

桜草

【10年位前に秩父に桜を見に行った時、農家の庭先で売っていた苗を買ってきて植えたもので、毎年、思わぬ所に種が飛んで芽を出して花を咲かせます。植えた覚えのない所に咲くので、可愛いこともありますが、場所によっては困惑することもあります。】

やっと知った花が出てきました。原種に近い、可憐な桜草です。私も埼玉の自生地へわざわざ観に行ったことがありますが、桜草は品種改良が容易なのだそうで、江戸時代から変わり種がいろいろ作られたらしい。

三昧堂通信6

樽見博さん発行のデジタルミニコミ誌「趣味と考証 三昧堂通信」6号を読みました。➀田坂憲二「吉井勇と御倉屋」 ②飯沢文夫「語られざるGHQの検閲(1)岩波書店『世界』創刊号」 ③古川富章「『層雲』表紙絵担当画家(4)」 ④樽見博「顔を描く 小山田二郎と島村洋二郎について(上)」 ⑤樽見博「三昧堂雑記1 宮城火喰鳥のその後」 が載っています。

➀は、1960年11月に亡くなった吉井勇が愛した京都の和菓子屋御倉屋をめぐって、その周辺に集まった文化人、政治家たちのサロンがあったことを描きます。堂本印象、新村出、中村直勝等々、華麗な顔ぶれで、和菓子がそういう交流の核となり得る京都ならではのこと(京都は、裏町のどんな店であっても和菓子は美味しい)。かつて訪れた古書肆で出されたお茶菓子が、小さいながら凝った意匠だったことを思い出します。

②は、さきの大戦後1946年から49年まで、進駐軍が行った出版物検閲の実態について取り上げる連載らしく、今回は今年1月に復刻された雑誌「世界」の創刊号(1946年1月号)が、期待に反して検閲削除部分を復活させなかったことを取り上げました。現在では検閲の経緯が、ブランゲ文庫の資料によって国内でもかなり推定できるようになっているとのことです。版元としては事情があるのでしょうが、一言断り書きがあってもよかったのでは。

戦後暫く、民間人の書簡も勝手に開封されて検閲を受けました。英字の入ったセロファンで封をし直した手紙がよく届いたものです。アットランダムに抽出したらしく、女同士の名前でやりとりする親族間の私信でさえ、そういう目に遭いました。今では想像もつかないことでしょうね。

生まれてくることができた

購読紙が5回連載で「しのぶの70年ー終わらない水俣病」という特集記事を出しました(朝日朝刊社会面 4月7~11日)。同時に重度障碍者たちの自立生活闘争についても連載しています(「泣いて、闘って、生きてー重度障害者の戦後史」東京版)。

水俣病についてはこのブログに以前にも書いたことがありますが、報道され始めるごく初期に、学部の保健体育の座学で、猫が狂う映像を見せられました。その時はちらちらする画面でよく分からなかったのですが、30代にはチッソの1株株主にもなりました。日本の公害問題や、ベトナム戦争の枯葉剤被害についても連日のように報道され、無関心ではいられなかったのです。

しかしブラック職場に8年勤め、地方へ転勤してからは、自分の仕事に忙しくて、社会運動からは遠ざかりました。いまこうして、当時の運動を振り返る記事を読み、当事者たちの、決して引き下がらない活動の結果を知って、襟を正す思いがしました。

連載記事にある坂本しのぶさんは、胎児性水俣病患者(母親の胎内で水銀を摂取し発病した)の代表として有名でしたし、都庁に座り込みを続けた自立生活を希求する重度障碍者たちのことも耳にしてはいましたが、生涯を賭けて志を貫いてこられたこの半世紀のことは全く知りませんでした。しのぶさんは痛ましい被害者として、また都庁座り込みのことは、そうは言っても無理なことはあるよなあ、くらいの感想しか持たなかったのです。

ベトナムでホルマリン漬の胎児を見た時、しのぶさんは「私は生まれてくることができた」のだから、何かをしよう、と決心したのだそうです。ベトナムを遠く離れて、とあの頃よく言われた自嘲めいた言葉を思い出します。忘れていた訳ではないけれど、遠く離れたまま歩いてきた半世紀。頭を下げるしかしかありません。

信濃便り・城趾夜桜篇

長野の友人から、中学時代の同級生と城趾の夜桜を観てきた、と写メールが来ました。

見上げる城壁の桜

【松代城跡の桜が満開となりました。その数は100本、多くはないのですが、ライトアップされ、真っ白に輝く樹姿は観る者を圧倒します。ほぼ60年前に、崩れそうな石垣に取り付き登ろうとしたことを思い出しました。】

白く輝く夜桜

友人は幼年時代、けっこうな腕白女子だったらしい。冬には豪邸の池で氷滑りをして、女主人から丁寧な口調で注意されたとか、春には近所の芍薬畑で蕾を全部摘んでままごとに使い、怒鳴り込まれて親が詫びに行ったとか・・・

信濃路の夜桜

【城跡の入り口には、復元工事の一環である三日月堀(土塁と堀)が見事な形を見せ始めました。三日月堀の公開は来年春の予定と聞いていますが、復元工事全体の完成はもう少し先のようです。】

かつて「私の城下町」というヒットソングがあったことを思い出しました。ノスタルジックな、レトロなロマンティシズムを束ねたような歌でしたが・・・ふと、城のある故郷を持つ人の詞ではないな、と思いました。当事者は「私の」とも、「城下町」とも言わないだろうな、ただ「お城」とだけ。

60年近く前、訪書の旅で全国を歩いた頃、県庁所在地のような都市では、城趾は一時兵舎に使われ、いまは公園になっている、という例が殆どでした(城櫓は明治維新で破壊されたり、さきの大戦で空襲に遭ったり)。その後、復元もしくは観光用のコンクリート城が建てられ、毀誉褒貶がありましたが、それらも今は半世紀以上を経て、一種の名所旧跡の資格を得たようです。戦国時代に凄惨な落城を遂げた鳥取城趾は、永く城壁だけでしたが、それすら復元されて観光名所になったらしい。

平家琵琶連続演奏会No6

大野美子さんが語る平家琵琶演奏会第6回(5月23日13:30~15:30 鶴めいホール)の句組は「二代后」と「鵺」。今回から予約方法が変わりました。以下のURLで受付を開始しています。 https://x.gd/eyD8S 満席になり次第締めきります。

問い合わせ先:houge:jka@gmail.com 平家琵琶訪月会公演実行社中

訪月会ポスター

第4回を聴いた歌人の吉崎敬子さんは、歌誌「玉ゆら」92号に「語る」と題した連作9首を含む近詠を載せています。

年頭の聞き初めは平家の弾き語り張り詰むる声くぐもる声声

「生食」と「摺墨」の名に若かりし頃の喜び引き出ださるる

二曲目は「老馬」の導く鵯越え老いて賢き馬こそ良けれ

老いたるが故に賢き馬の名の語らるることのなきが好まし

小宰相との別れとなるは聴き手のみ知ることとして語りは進む

催しの果てたる夜に飯田橋までの道のり余韻嫋々(吉崎敬子)

歌誌「玉ゆら」は、秋山佐和子さん主宰の短歌愛好者の会が発行しています。短歌の創作、評論、研究を行う人たちが毎月、定例の歌会を開催しているとのこと。問い合わせ先:194-0041町田市玉川学園7-14-29 季刊「玉ゆら」発行所。

この連続演奏会は、中世から近世にかけて、盲目の琵琶法師が当道座という専門家集団を結成して伝承してきた平家琵琶を、現代にも活きた芸能として残そうというコンセプトで始まりました。伝統だから、貴重な研究資料だから、我慢して聴くような過去の遺物ではなく、現代人が日常生活の中で聴いて、何がしかの感動を懐いて会場を出るような、そういう芸能として。仕事帰りに平家を聴こう、というのがキャッチコピーです。