時を織る

沖本幸子さんの『時を織る 西表島・紅露工房物語』(南山舎)を読みました。沖縄の芸能を研究しようと1997年に西表島を訪れたのがきっかけで、染織家の石垣昭子さんと出遭い、自然の中でのものづくり(糸、布、衣料)を生活ごと体験し(はまり)、そこで得たものを昭子さんの伝記の形で書いた、という本です。ソフトカバーの全220頁、美しいカラー写真満載で、殊にテキスタイルの写真は手触りまで感じられそう。

1西表島の自然と暮らし 2紅露工房というところ 3創ること、その楽しみ 4創作への道 5心の継承を求めて という章立てになっており、「時を織る」という書名は単なる洒落っ気ではないことが読んでいくうちに判ります。

沖本さんは中世芸能が専門ですが、若い頃沖縄のフィールドワークに熱中し、衣装を着けて巫女の舞を舞うと「鬼気人に迫るものがあります」と、同じ頃フィールドに入っていた伝承文芸の研究者から聞かされました。ファッションセンス抜群でもあって、渋谷や青山の街で見かけても輝いていました。

本書では絹や芭蕉、苧麻などの天然素材の糸を紡ぎ、植物染料と天然水で染め、機織りで生地にして、地元の伝統衣料に仕立てる作業が、自然環境や伝統的な祭祀や労働と、そして人生観と分かちがたく結びついていることが描き出されていきます。デザイナーやアーティストたちとの交流を経て、島の伝統が現代に再生していくことも。

志村ふくみのエッセイには私も一時はまりましたし、三宅一生のプリーツは、夏の海外旅行には重宝しました(私には一張羅でしたが、本書では野良着)。かつて、琉球舞踊は能楽と同格に扱われてもいいはず、と主張する愛好家に私は、やはり沖縄の風物と一体でないと享受しにくいと言ったことがありますが、本書が丸ごとその答になっています。

京都の武田五一

平家琵琶の大野美子さんから、求道会館を設計した武田五一は関西で活躍した人です、というメールと、2024年3月に京都府立図書館を撮った写真が来ました。

旧京都府立図書館

阪神淡路大震災で被害を受け、2001年、背後に新たに建て直されたのですが、正面部分だけは保存されたのだそうです。武田五一の設計です。

黒谷から京都市内を望む

金戒光明寺の法然廟にお参りして、平安神宮を目指して歩いたら、京都府立図書館の建物に出遭った、とのことでした。武田五一の洋館は曲線と直線の組み合わせに特徴があるのだそうで、なるほど求道会館にもその面影がありました。

黒谷の熊谷直実供養塔

私も黒谷廟にはたしか行ったことがあるはずですが、敦盛・直実の供養塔のことは思い出せません。直実は敦盛を討った後、法然上人の弟子となり、晩年は熱心な信者だったというのですが、出家の直接の原因は敦盛とは関係がないようです。

法然廟と敦盛供養塔

京都へは30代の初め、週1回、短大の非常勤講師として通いました。その後学会参加や文献調査、集中講義などで行く度に、ちょっとの隙間時間を利用して、あちこちの旧跡を訪ねました。それらの思い出は断片的な1コマ画像のようで、脈絡がなく、記憶は流されやすい。所縁の人物や事件に思い入れのある旅を改めてやり直したい気がしますが、近年の京都はもう、日本人がふらりと出かける所ではなくなったようです。

京都は古い洋館を見て歩くにもいい町でした。いま住む本郷にも、小さいながら装飾のある石造りの洋館が幾つか、通りの町並みに埋もれるように残っているのですが、いつまで在るでしょうか。郁文堂が借りていた、もとは銀行だったという洋館は、あっという間に取り壊されて駐車場になりました。オーナーが、文化財指定などされると面倒だから今のうちに、と急いだのだという噂です。

求道会館

今日は本郷六丁目にある求道会館の公開日なので、雨もよいの中、出かけてみました。

求道会館

求道会館は真宗大谷派の僧侶近角常観(1870~1941)が建築家武田五一に設計を依頼して建てさせた教会堂です。大正4年(1915)に完成、その後平成18年(2006)に荒廃していた建物を修理復元、東京都の有形文化財に指定され、毎月第4土曜日の13:00~14:30に一般公開されています。 kyudo-kaikan.org

ステンドグラス越しには本郷の街

2階建てで、内部は木造。雨天のせいかしっとりと木の匂いが立ちこめています。正面に観音像を祀った厨子があり、1階はそれに面して折畳式机のある長椅子が96席、2階は階段式の廻廊になっていて、ステンドグラスの小窓から明かりが差すという、和洋折衷の会堂でした。説法を聴く場所だったので、声はよく響く。椅子席に座ってみると、なるほど落ち着きます。

2階から見ると

一ツ目弁天会の荒井今日子さんと連れ立って行ったので、私たちはつい、平曲公演をここでやるとしたら、という目で見て歩いたのですが、毎月いろいろな催しに貸し出されているようで、現代音楽と古典、和楽器とのコラボ企画が多いようでした。見学者は50人くらいでしょうか、私たちが出た後も途切れませんでした。

見終わって昼食を摂りながら、平家琵琶の今とこれからについて、情報交換をしました。来月には名古屋で「平家正節250年記念行事」の完結式典が行われます。この3年間、譜本を通して師伝を承けた人たちが一堂に会する演奏会が行われてきましたが、今後は果たしてできるかどうか。今やっておかなければならないことは何かー久しぶりに食べた炒飯は美味しかったのですが、話はヤオウナイ(福岡方言。容易ではないの意)。

堂内は足下が暗い中、こわごわ歩いたので、帰ったらどっと疲れが出ました。

わが町

パンを買いに播磨坂のスーパーへ行きました。我が家の近辺では、食パンはもちもちがいいということになっているらしく(実際はねちねちに近い)、さくさくを好む私としては、朝の食事が不本意なのです。その上食材も惣菜もほぼ決まり切ってしまって、楽しみがない。久しぶりに晴天が2日続いたので、バスに乗って出かけました。

バスの中は老人が殆ど、区間によって小学生がわっと乗り込んでくる(沿線に大学附属小学校があるため)。窓外を眺めながら、ふっと以前とは自分の気持ちが違っていることに気づきました。バスの走る通りは、自分が高校、大学、大学院と通い慣れたルート。小石川育ちの私は、本郷へ越してきてからずっと、この界隈は「わが町」という気分だったのです。言ってみれば、最近住み着いた人たちに対して、あんたたちとは違うのよ、という意識があったかもしれません。

林町に住んでいた10代にも、播磨坂の辺りは遊びに来る範囲内でしたし(清水谷と呼ばれて、「太陽のない街」への入り口だった)、東大附属植物園にもよく来ました。同心町には3年間、窪町へは4年間都電で通学し、その後親の家を片付けに15年間通いました。並木の生長も、保健所のありかも、写真屋や薬局や寺も見覚えがあります。

しかしーこの頃はそういう気持ちが薄れました。時が経って街のたたずまいが変化したからでしょうか。世田谷で24年間暮らし(その間鳥取や名古屋にも住みました)、本郷へ移ってかれこれ四半世紀、当然と言えば当然です。でもそれだけではない。コロナのせいもあります。ふらりと喫茶や食事のために店に入ることがなくなった街は、よそよそしい。ただ通り過ぎるだけです。

それにもう一つ。自分がこの人混みの何にも関わっていない、高齢者だから、かも。

越前だより・米国訪書拾遺篇

福井高専の大谷貞徳さんが米国のイェール大学へ、長門本平家物語調査に行ってきた話はすでに書きましたが、その時のこぼれ話が幾つか写メールと共に送られてきました。

蔵書票

【この長門本平家物語は、1873年に古生物学者のマーシュによって寄贈されたものです。彼はアジアの美術品などのコレクターでもあったようです。写真は表見返しに貼付されている蔵書票です。】

図書館には日本人の職員もおり、またちょうど古筆切研究の専門家が1年間の留学で滞在しておられて、長門切もあるから見て行ったらいいと助言して下さったそうです。すでに世界はこんなに狭くなっている(同学の連帯が可能になっている)のだ、と感激しました。そう言えばイェール大学蔵の手鑑の中には長門切があって、デジタル公開されているのでした。源平盛衰記巻41「頼朝条々奏聞」の一部に当たります。

Tekagamijō, [8th cent.-early 17th cent.?]. and 手鑑帖, [8th cent.-early 17th cent.?]. - Yale University Library

ニューヘイブン名物アピッツァ

【現地の店に入るのに勇気が要りましたが、何とか店に入り、初めて注文したものの店内で食べる勇気はなく、テイクアウトでホテルに持ち帰りました。写真ではわかりにくいかと思いますが、ワンピースがなかなかに大きいのです。「アピッツァ」と呼ぶそうで、もちもち生地ではなくカリッとした生地が特徴です。美味しく頂きました。】

コカコーラと並べたら、これがUSA!という晩飯ですね。私のゼミでは各地へ文献調査に出かけましたが、日程は調査だけでいっぱいいっぱい。唯一の「観光」は昼食と夕食に現地のB級グルメを体験すること、と教え込んだので、米国でも早速実践したようです。もう一つの名物ハンバーガーは食べ損ねたとのことでした。

伝承文芸から見る中世文学研究史

弘前学院大学の伊藤慎吾さんから最近の著作が送られてきました。➀「柳田国男から筑土鈴寛へー伝承文学研究の形成をめぐってー」(「伝承文化研究」23)②伊藤慎吾・佐藤優・三田加奈編『コンテンツとしての義経ー民俗・地域・伝承』(三弥井書店)③「擬人名と通り名的呼称ー『長生のみかど物語』を手がかりとしてー」(「伝承文学研究」75)④「悪人往生説話の一系譜ー阿那律から石川五右衛門へー」(「仏教文学」51)。

まず➀から読みました。1920年代から40年代にかけての、文献学主流の国文学界とは異なる流れー柳田国男、折口信夫、筑土鈴寛、そして横山重らの仕事を辿ります。『神道集』や『諏訪の本地』の再発見から、文字を介さずに語り伝えられてきた文芸への関心の高まり、在地伝承への注目、さらに民俗学独立後の文学研究との関係の中に筑土鈴寛を位置づけ、三谷栄一、角川原義、福田晃らへの影響を指摘しています。柳田国男や筑土鈴寛、それに歴史社会学派の論との両輪で研究をスタートした私としては、改めて大正、昭和前期、そして戦後の文学研究の力源と方向性を回顧する気になりました。歴史社会学派の民衆黄金伝説は、決して突然のものではなかったのだ、と。

③と④は、学会主催シンポジウムの講師としての論ですが、注釈文芸や仏教資料探索、近世初期文化への注目など、近年の学界動向を私自身の視点で評価し直すきっかけになりました。そのことは、いずれ別項で書きたいと思います。

②は「コンテンツとしての」というところが新しい。義経記を初め義経を取り上げた文芸は、一種の文化現象として捉える視点が必要だとずっと思っていました。「コンテンツ」という視角からは、やや雑駁になりがちではあるものの、現代と過去(古典)の往復運動という、伝承文芸ならではの論考12本が楽しめます。

シルバーウィーク

国民の祝日が連休に組み込まれるようになってから、祝日の意味が分からなくなりました。今年のいわゆる白銀週間は5連休、彼岸の中日はいつ、敬老の日はいつだったのか?大型台風接近の警報に遮られて昨日は買物に出られなかったので、あてずっぽうで扇屋へおはぎを買いに行きました(中日は明日だったらしい)。

ずっと続いた雨天の後、台風一過の晴天。台風に備えていたベランダを片付け、大きな洗濯物を干しました。大雨になるからと2日間水やりをしなかったため、ペチュニアや日々草が萎れています。投函する郵便物の料金を確かめに本局まで行く道すがら、2箇所ほど彼岸花が咲いているのを確かめました。彼岸花は縁起が悪いとして庭には植えなかったものですが、近年は園芸植物として植えられるようです。

扇屋でいつものように、黒胡麻と粒餡のおはぎを買いました(故人の好みです)。夏の間に脚力が落ちたことを実感しました。戻ってきたら汗びっしょり、今日は30度越えらしい。しかし日差しは真夏のように攻撃的ではなく、どこかやわらかく、なつかしささえ感じます。室内へ陽光が差し込むようになり(冬の間はこの陽光を求めて窓際で読書する習慣です)、さすがに未だ日光浴はしないものの、このあかるさが嬉しい。

街はいつもより静かです。例年の白銀週間ほどには人数は減っていませんが、かさかさとせわしなく歩いてはいない。こういう日々を送りたかったんだよなあ、老後には、と肘掛椅子を引き寄せながら思いました。締め切りまで後何日、と数えながら暮らすのではなく。しかし現実には急がなければならない事案が家中に溜まっています、終活も含めて。

夏の花は水をやればすぐ生き返りますが、これを境に花数が減り、葉が枯れて、季節が移っていくでしょう。雲は鰯雲、風には木枯らしの気配が、微かにある。