信濃便り・善光寺回向柱篇

長野の友人から、晩秋の信濃便りが来ました。

             塩尻の葡萄畑(ワイン用)

【来年、善光寺は数え年で7年に1度の御開帳を迎えます。善光寺の御本尊は絶対秘仏。その御身代わりである前立本尊から延びる「善の綱」が、本堂前に設置される「回向柱」につながり、その柱に触れることで、善男善女が御仏と縁を結ぶことができると言われています。】

              文武学校

【その回向柱は江戸時代から松代から運ばれることになっており、準備が進んでいるのですが、本日、回向柱のお披露目がありました。10月に伐採され製材された樹齢250年の杉の木が松代藩文武学校に設置され、朝から、大勢の人々がご利益にあやかりたいと訪れていました。】

               回向柱

【松代に伝わる伝統芸能のご披露もありました。大門踊りは藩主に披露する特別な踊りですが、子供の頃、自宅近くの神社で見た記憶もあり、とりわけ懐かしく思いました。】

                大門踊り

友人はアメリカ文学が専門で、何度か米国留学し、今でも彼国のニュースをリアルタイムで読んだり聴いたりしているらしい。いよいよ中間選挙の投票が始まったので、見通しを聞いてみました。

【old mediaがいうほど民主党が強いとは思えず、不安になっています。現大統領の政策が混乱を極め、遅ればせながら選挙民も目覚めるかと思う一方、とんでもない手が打ち出されるかも知れないとも思うので。】

同感。弊国の報道は「期待読み」ではないかしら。接戦にはなるでしょうけど。現大統領は敗戦に備えてか、しきりに、選挙に不正が行われるかも知れないとほのめかしているらしい。一悶着起こるかも。彼国の人々の良識に期待したいものです。

三昧堂通信13

樽見博さんの電子ミニコミ誌「趣味と考証 三昧堂通信」13号が配信されました。今号にはさきの大戦後昭和中期の文人たちの動静など、私も人名は知っているものの詳細は知らずにいた時代のことが満載。➀成澤光「日本語訳における「主」とは何を意味するか」 ②飯沢文夫「語られざるGHQの検閲(4)高見順(1)」 ③田坂憲二「吉井勇の映画日録(1)「歌麿をめぐる五人の女」」 ④樽見博「ゲーテ詩集あれこれ(中)」 ⑤同「三昧堂雑記 金子光晴」 ⑥同「三昧堂句帖13」という目次立てです。

➀は聖書の日本語訳ではエホバ、神、キリスト、王などがそれぞれ「主」と訳されることがあって分かりにくいことを述べたもの。大いに蒙を啓かれました。若い頃聖書は、信仰の書としてではなく殆ど詩として愛読しましたが、分かり難い箇所が多くて、それもまた一種の「古色」として味わっていましたが、翻訳の問題もあるのだと知りました。中にはキリストの弟子自身の「誤訳」もあるとは。

②は高見順の昭和45年9月の日記を引いて、言論・報道の自由が占領軍によってもたらされたことを彼がどう受け止めたかを記述しています。マッカーサーと昭和天皇の有名なツーショットを日本政府が発禁処分にし、それがきっかけでGHQが言論・報道の自由を宣言した(しかしそれはあくまで占領下の自由であったが)ことに彼は喜悦しています。彼の主要な著作は親の書架から引き抜いて読んだので、知ってはいますがあまり面白くなかった。ただどの文章にも底流に悲しみのような影のあるのが記憶に残りました。

④ではゲーテの「ファウスト」や詩の和訳を比較しています。私が読んだ「ファウスト」はどれだったのだろう。灰色の布表紙だったような・・・。⑥は阿波野青畝を想う奈良の旅。東大寺南大門の仁王像に1句「踏んまえる脚の強さよ雨あがる」(樽見博)。

オンナは忙しいのか

我が国初の女性首相は国会答弁に立つのが嫌いらしくて、10月14日の衆議院予算委員会で、自らの多忙、殊に女性であるが故にしなければならないことの多さを理由に、国会への出席時間の少なさを弁明しました(海外でも報道されたらしい)。また7月以来度々SNSで、家事と公務のために睡眠時間が極度に少ないことを呟いているのだそうです(私はXに登録していないので、直接には読んでいません、読みたくもない)。その内訳は化粧や、掃除洗濯、食事の世話、アイロン掛け等々・・・我が家の購読紙は、これを女性が強いられてきた社会構造のせいだと論じるのですが、ちがうだろ!

彼女は「女性」をウリにしているのです。そういう、けなげに家事や女らしさを維持する女性であることが、オジサンたちに気に入られる条件なのだとわきまえている。その条件に堪えてきた(いる)女性たちに、同じ仲間だとアピールしている。それが彼女の戦略なのです。

家事代行さんを雇ったらどうですか。プロに頼めば手際よく、しかも一線を越えずにやってくれますよ。まさか1日2~3時間、週5回の家事代行さんを雇えない給料ではありますまい。機密保持のできる人材かどうかの身元調べは、然るべき部署にやらせたらいいでしょう。園遊会や外国元首との面談以外なら、ふつうの出社スタイルで結構。私たちの前にはすっぴんで出て来られてもべつに構いません。

そもそも女性だから首相に選ばれたのか、女性解放を公約にしたことがあったか―ない。外で働いた経験のある女性なら誰しも、引き受けた仕事が充分できない理由に私事を挙げないことを矜恃にしています。それを堂々と破る女性とは、この次の仕事は一緒にはやらない(できることなら)、と心中ひそかに決意するのです。

今どきハロウィン

天気が好いので近くまで、と花を買いに出ました。坂を降りた所で親子連れの行列ができている。以前、親子食堂をやっていた店です。近づいてみるとハロウィンの飾り付けがしてあります。どうやら隣りの町内会で、子供に菓子を配っているらしい。学齢期前くらいの子供を連れた親たちです。女の子はお姫様のように着飾ったり、祖母から借りたのか黒い大きな婦人帽で魔女に扮したりしており、男の子は恐竜や化け物の面を被っているのが多い。そうか、ハロウィンなんだ、と気がつきました。

悪戯されたいか、さもなくば、と脅す風習が気に入りませんが、この北欧の習俗と似た行事は、弊国ならば地蔵盆です。地蔵の縁日(8月)の前夜に、お参りする子供たちに菓子などを配る行事だそうで、私が育った湘南では見かけませんでしたが、博多にはあったようです。

朝は肌寒かったのに、午過ぎは汗ばむ陽気。花屋が撤退したり法人向けの商売に専念したりして、いい花苗が入手しにくくなりました。八百屋の店先に売れ残ったパンジーがあったのを思い出して、買っておこうと思ったのです。手入れがわるいので弱っている苗箱から、ためつすがめつ3株選び、帰って枯葉や花殻を取り除き、通草蔓の籠に入れて、ガンガン日の当たる場所に置きました。うちへ来たからには元気におなり。

夜のニュースが、土曜日のハロウィンの街を映しています。区職員や警察官が人並みを制御する盛り場をよそに、20代のカップルがコスプレをして、思う存分写真を撮り、パーラーで軽食を摂り、楽しんでいました。神社の鳥居と共に撮った写真がいいんだそうです。パワースポットと言うのでしょうか、怪しげな雰囲気があるのでしょうか。意外でした。これが今どき日本のハロウィン・・・平和国家でよかった。

堰き止めろ

連日報じられる個人情報漏洩ーあらゆる分野に亘り、規模が大きく、しかも加速度的。いつ、どんな被害を受けるかも分からず、パニックを引き起こし、中には「漏洩疲れ」してもう対策を執る根気がなくなったという声や、被害者に対策を勧める以前にやることはないのかという怒りの声(同感!)も報じられています。

AIのせいだ、という報道が主なようですが、それだけではないだろうと思います。そもそも利便性ばかりに注目、もしくはバスに乗り遅れるな的なノリでIT化を進めてきはしなかったでしょうか。マイナーカードがその最たるもの、末端の環境が未だ整っていないのに、殆ど懲罰付きのような掛け声で推進しようとした。システムはおろか、セキュリティ感覚も充分行き渡っていないのに。デジタル庁や外務省も漏洩してしまったというのですから、日常に浸透していたネットサービスの危険から身を守るにはどうすればいいのか。

アマゾンも利用しない私は、そろそろ周囲から呆れられても仕方がない暮らしぶりでした。かつて金融機関から個人情報を丸ごと漏洩された経験から、いちど流出した情報は決して消せないと知り、カード払いをやめ、スーパーのポイント登録もしない、このブログも広告なしにしたいが支払い方法が口座引き落とししかないのでやらない、という主義。今のところ、あれでよかったと一息ついているのですが、不便だったのは確かです。

報道によれば、キルスイッチ、AIの不正行為を止める装置の必要性が認識され始めたという。強大な能力を持つ技術には、歯止め体制が必ず附属していなければならないのは当然です。それ以前に、個人情報を預かる時は何もかも一まとめにしないで欲しい。段階を踏んで二重三重の鍵を設け、目的を限定して情報を小分けしておいて欲しいと思います。不便さが安全に繋がる、それはどんな分野にも共通するセキュリティなのです。

麺類

夕食後チャンネルを廻したら、博多の皿饂飩は長崎のちゃんぽんを移植したのだという話が出てきました(「秘密の県民ショー」です)。へえ~そうだったのかあ。

父祖の地博多へ物心ついてから初めて行ったのは、学部3年の春休みで(2歳頃、母と一緒に疎開していたのですが何も覚えていません)、その時従妹に博多の味だと教えられたのが、皿饂飩でした。1皿の量が多く、鄙びた料理だと思いましたが、それ故に郷里の味という記憶が残り、院生になって文献調査に独り旅で行った時、駅裏の食堂で注文しました。夕食に皿饂飩だけというのも淋しいな、と何かもう1品注文したら、皿饂飩は量が多いですよ、と注意され、頷いて、少々無理だったけど平らげました。

東京で言えば「柔らかい焼きそば」「ソース焼きそば」に近い味ですが、具が多く(店によります)、特に蒲鉾の千切りが必ず入っている。麺は太くてもっちりしているのが特徴です。TVでは、長崎ちゃんぽんを移植するに当たって、麺が伸びないために油焼きし、それに出汁を吸わせたのが工夫だと説明していました。へえ~そうだったのかあ。

学部3年の春休みに九州一周旅行をした時、長崎駅でちゃんぽんを食べ、こんなに美味しいものか!と感激した覚えがあります。スープが美味しい上に具材が豊富で、未だ食生活が地味だった当時、豪華な料理に思えたのでした。そのバリエーションが皿饂飩とは、俄に信じ難い。しかしあの食感の由来は納得できました。

御歳暮に年越蕎麦を贈るのは、東京人としては常道だと思うのですが、地方へ贈ろうとするとはたと困る。名古屋には味噌煮込み饂飩があり、博多や下関は饂飩で年を越します(ごぼう天を載せた饂飩がソウルフード)。長野も京都もそれぞれ自慢の蕎麦があるし・・・麺類はむつかしい。

木枯1号

東京は今朝未明に、木枯1号が吹いたそうです。私が起きた時は文字通り雲1つ無い青天、風はやや強め、くらいでした。ウールの毛布(おかしな言い方ですが、綿の毛布という商品名があるので)を日に当てました。昨夜まではタオルケットと綿の毛布を重ねていたのですが、今夜はそれでは済まないだろうと思ったのです。

木枯1号は春一番(そう言えば木枯は「1号」だけど、春の方は「一番」で、待ちわびた気持ちが溢れている)ほどではないが、東京では季節の節目を知る手がかりとして待たれています。初霜は都心部ではもう季節の表徴の役を果たさなくなり、渡り鳥も見かけません。上州ほどではありませんが、東京の冬の初めの北風はなかなかのもの。30代で定時制高校に勤めていた頃には、たっぷり体験しました。

大学院生の時、京橋の定時制高校に非常勤講師で通ったことがあります。土曜の夜でした。銀座からバスに乗り換えて行くのですが、このバスがなかなか来ない。4丁目の通りを木枯が吹き抜け、オーバーの襟から容赦なく吹き込みます。歳末のある晩、バス停でサラリーマン風の中年男性からナンパされました。「今日は僕の誕生日なんだけど、付き合ってくれない?」と言う。むかっとしました。これから仕事です、とだけ言ったら離れて行きました。今でもあの風の冷たさは、最悪の思い出です。

干し物を済ませてベランダを見回ると、ハゼランかと思った芽生えは分蘖し初め、どうやらペチュニアらしい。こぼれ種だったのでしょうか。昨夜の木枯にすっかり萎れている。来春には咲かせたい、と意地が頭をもたげました。鉢の受け皿を洗いました。最低気温が10度を下回ったら、観葉植物も室内に入れてやらないといけないので。日曜に植えたムスカリはよほど我慢していたと見えて、早速芽を出し始めました。遅れてごめん。