川越便り・牧水篇

川越の友人から、秩父両神ダリア園へ行って来た、というメールが来ました。解析度の高いカメラを使っているらしくて、我が家の小さなNPCでは全景写真は受け取れませんでした。

f:id:mamedlit:20201024123109j:plain

ポンポンダリヤ

かつて蔵王の麓のダリヤ園を訪ねたことがあります。背が高く、葉の茂った中に花が咲いていましたが、今は薔薇と同様に低く、葉を少なくして栽培するようです。

[新車の試運転を兼ねて秩父へ行ってみました(片道90分程度)。350種類5000株が植えられているそうですが、山の斜面がきつくて参りました。 

若山牧水は私も昔から好きな歌人ですが、数年前、東九州自動車道を利用して延岡に足を運んだ折、牧水の生家と記念文学館を見学してきました。牧水の父は医者だったそうですが、二階建ての小さな家でした。祖父は埼玉県の所沢の出身で、若い時に長崎へ行って医学を学び、宮崎で開業したという説明板を見た時は吃驚しました。出身地の所沢市神米金(カメガネと読む)は、私がよく通る道筋のど田舎です。こんな所から一介の農民の倅が長崎へ勉強しに行ったという、明治人の意思と行動力とに驚かされます。

秩父にも牧水の故地として記念碑やら何やらがいくつもあります。]

f:id:mamedlit:20201024123504j:plain

両神ダリア園のダリア

ダリヤは大正から昭和初期には、ハイカラな花だったのではないでしょうか。牧水は、ダリヤの歌をよく詠んでいます。

絶望といひ終焉といひ秋の日のダリアの如き言葉のかずかな(秋風の歌)

夕かけて風吹きいでぬ食卓の玻璃の冷酒の上のダーリア(同)

キャッチコピー

コロナ禁足で精神的に逼迫する毎日。朝のメールチェックのついでに、ツイッターで「今朝」と富士、花、空、猫などの検索語を組み合わせ、投稿写真を見て風穴を開けていることは前にも書きましたが、最近は「海」という語も加えました。湘南育ちなので、海を見ると心が広がります。寄せては返す波を、終日眺めても飽きません。投稿に地名がついていれば、かつて旅した時の思い出が蘇り、投稿者の仕事開始についての書き込みがあれば、それぞれの地方の産業や働く人の姿が思い出されます。

在職時代は、机上に置く、また机の脇に掛ける小さな暦に、毎年、海の特集と雲の特集を選んでいました。職場と家を往復するだけの日々でも、せめて想像力と安定性を失いたくない、と思っていたのです。近年はPCやスマホのカレンダーで用が済むのか、手頃な大きさの美しい暦を入手するのが難しくなりました。その代わりを果たしてくれるのが、ツイッターの投稿写真というわけです。

車のCMに、「海を見たいと女が言った」というキャッチコピーがありました。連れて行ってくれる男を持ったことはありませんが、心を掴まれる惹句でした。歌謡曲に名曲が多かった時代があったように、キャッチコピーの名作が続出した時期があったように思います。キャッチコピーのランク投票をしたら、どんな時代のどんな名句が並ぶでしょうか。

私が挙げるベスト4はー「海を見たいと・・・」のほか、「今日も元気だ、煙草がうまい」。「そうだ、京都行こう」と「ふたたびの奈良」の対。そして「反省だけならサルでもできる」を付け加えておきます(反省どころか、自らの言動のもたらす意味さえ認めない人間が横行する今日この頃)。

流用

その道の専門家たちには当たり前の知識になっているのかもしれませんが、古活字版の本文を翻刻しながら迷うのは、「活字の流用」について、どの程度の共通認識があるのだろうか、ということです。

古活字版を制作する際には、頻繁に出てくる文字は活字の数が足りないこともあり得るわけで、かつ頻繁に出る語なら、読み手の視線は素早く意味を捉えながら滑っていき、文字の細部まで意識せずに読んでしまう、それゆえ似たような形態の活字を「流用」することがあったのではないだろうか、と思うようになりました。若い頃はそれらを「誤り」とか「誤植」などと注記していたのですが、数多くの例を見てくると、ある文字に関しては、植字工が確信犯的に他の活字を流用したのではないかという気がするのです。例えば、

頂→預  鳥→烏  吊→弔  堀→掘  越→赴  練→錦

などは熟語の一部、あるいは文脈の中で置き換えられても無意識に正しく読んでしまう。最も多いのは失→矢です。もしかしたら「矢」よりも「失」で代用している方が多いかもしれません。恕→怒などは、おや?とは思うものの推測はできます。中には「法絶」が「法施」の代わりに使われている例もある。

裏返しに彫刻されている活字を素早く拾っていく際のミスもないとは言えませんが、一人前の職人ならそんなにあることではないでしょう。翻刻の注記には、「誤植」ではなく「活字の流用」と書きたい、読者にどれだけ理解して貰えるかしら、と迷いながら、ゲラをめくっています。

季節を追いかけて

この秋は晴天が少なくて、夏物をしまうための洗濯が追いつきません。しかも秋らしい気温の日が足早に去って行く。ついこないだまで彼岸花が盛りだったのに、街へ出ると風の中に木枯の気配が感じられます。これは徳島の原水民樹さんからのメール添付写真。何も説明はありませんでしたが、2週間前くらいでしょうか。

f:id:mamedlit:20201021124312j:plain

阿波国便り・彼岸花篇1

愛犬家の原水さんだから、ドッグランかもしれません。白い花も混じって見えます。

f:id:mamedlit:20201021124602j:plain

阿波国花便り・彼岸花篇2

我が家ではコキアの茎が紅色に色づき、混植した千日紅の色とよく合います。来年の夏もこれにしよう、と決めました。4,50粒の種子を播いた矮小性鶏頭は、たくさん発芽したものの育ったのは3本だけ。ルーペで見ないと気づかないくらいの花穂が出ています。平鉢には、来春の楽しみにムスカリの球根を植えました。

夏の初め、吊鉢に播いた西瓜に、今頃花が咲きました。西瓜は雌雄異花で一日花、雌花より雄花が圧倒的に多い。南瓜の花のようにどや顔でなく、脈が透けてちょっと寂しげな花です。葉の切れ込みが大きくて面白いので、来夏、グリーンカーテンを作る方は、西瓜でやってみてはいかが。今はピンポン玉より小さいくらいの実が生り、いっちょ前に縞模様もあります。せっかくだから落ちないように育て、どうやって食べようかと思案しているところ。薄甘く煮て、アイスクリームに載せるか、それとも輪切りにしてコンソメスープに入れるか。未熟な西瓜の奈良漬もあるのだから、食用になるはずです。

郵便局では年賀葉書の予約が始まり、区からはインフルエンザ予防接種の案内が来ました。かかりつけ医が突然廃業したので、新しい医院へ電話をかけたら、高齢者優先にはしているが2週間か1ヶ月先になる、接種後抗体が出来るまで2週間かかる、その後3~4ヶ月は有効とのこと。退職後は不要だと考えていたのですが、今年は予約しました。

信濃便り・通草篇

信濃の友人からメールが来ました。庭の紅葉が始まり、すでに炬燵を出したそうです。

f:id:mamedlit:20201020125707j:plain

ヤマボウシの紅葉

[近所にこぢんまりとしたギャラリーがあります。主が庭木を丹精して育てていますが、アケビの実が色づき始めました。もう少し待てば白い果肉がはっきり見えると思いますが、蔓から落ちてしまうのではないかと心配になり、とりあえず撮影してみました。主の話では、食べてみたが、とても甘かったとのことです。]と、添え書きにありました。

f:id:mamedlit:20201020125950j:plain

通草の実

もう割れ始めている実もありますね。かつては山中に自生し、子供たちがおやつ代わりに中身のゼリー状の部分をしゃぶったのだそうですが、今は栽培し、スーパーなどでも売るようです。紫の色鉛筆で描いたような皮が美しい。昔は中身を抜いた後、きのこや味噌を詰めて、炉の灰に埋め、蒸し焼きにしたそうですが、TVの昼番では、皮を素揚げして味噌などを詰めていました。いかにも酒肴向き。

我が家でも、晩秋に植え込みの郁子(むべ)の実が希望者に配られますが、これは自然には割れず、皮の内側が固い。通草よりも小さいので、ぽっちりの白いゼリーをしゃぶるだけです。今度スーパーで通草を見かけたら、買ってみようかな。東京では、ヤマボウシは未だですが花水木の紅葉が始まり、夜は床暖房を入れる日もあります、と返信しました。

コロナを詠む

歌誌『玉ゆら』70号を頂きました。めくりながら、少しずつコロナ下の生活詠が増えているのに気がつきました。紺野裕子さんの「コロナ禍の中で詠う」というアンソロジーも掲載されています。

医療なく村閉ざさるるペスト禍の死はつね在りてつね近きもの(笠原千紗子)

三密を避けて気付けり世の中の成り立ちこそがまさに三密(水越響)

炎天をうつむくマスクの人が行く辺りを圧してみんみんの声(小山加悦子)

花開き実となり赤く桃太るコロナ自粛の百日の間に(松沢陽子)

令和の世いざ出でたまへ源三位鵺ならぬコロナを退治すべく(菅野節子)

とほき死が世にみちて風光る朝さへづり清く街をわたれる(里匂博子)

口きかず離れてゐるがマスクする エビデンスより恐きひとの眼(伊東民子)

これよりはわが身は一つ発光体ピアノの前にマスクを外す(青木道枝)

夫の住むホームの窓をノックして身振り手ぶりの会話に汗かく(松原淑子)

庭に出て雑草抜けば時速しコロナ蟄居の憂さを忘るる(岡村紀世)

時事詠は難しい。まして今回のような、日常を侵すものの正体、私たちの「ふつう」の在り方をぐらつかせるものの正体が簡単に掴めないまま時間だけが過ぎてゆく場合には。でも、我慢しよう、堪える日常を励ましてくれるものもある、と歌う詠歌群を貫通して何か必要なもの、そこにあるべきものが、おぼろげに感じられるような気がしました。未だうっすらとしていて、論じるほどの輪郭がありませんが、歴史文学を読み慣れてきた私としては、短歌という器にも、永い時間・大きな世界は盛り込めるはず、その鍵は何なのか、自分でも考えてみたい、それは今だと思ったのです。

説話文学研究55

説話文学会の機関誌『説話文学研究』55号が出ました。近年、説話文学研究会と仏教文学会の企画内容や発表が殆ど同じようになり、合併してもいいんじゃないか、と思うくらいでしたが、実際には説話乃至説話集に関する研究は、もっと幅広く行われていて、その一端は本誌からも窺うことができます。

佐藤道生さんの「大江匡房と藤原基俊」という論文を読み、こういう文章が書けたらいいなあと思いました。よけいな会釈や躊躇がなく、さくさくと大きな構図を描き出していく、大人の論文です。『今鏡』巻2に見える説話ー白河天皇大江匡房に、『和漢朗詠集』所収摘句の全文を蒐集せよと命じた時、李嘉祐の「蝉」の全文だけが探し当てられず、それを「ある人」が偽作し、匡房はそれを見抜き、後に正解が見つかった、という話について、永済注や『歌苑連署事書』により「ある人」は藤原基俊だとされ、基俊の性格を語る説話として有名になっているが、じつは基俊は匡房の門弟だったのではないか、と推定しています。白河天皇は、幾つもの文化的大事業をそれぞれの専門家にやらせており、受けた家では門人たち総動員で作業に当たったであろう、その中で起こった事件であり、この大事業をきっかけに匡房は『朗詠江註』を、基俊は『新撰朗詠集』を著すことになったのではないかという結論です。一つ疑問は、基俊が師を差し措いて直接白河天皇に言上するものなのか、ということで、学会発表の際には質問が出たのでしょうか。

本誌には、小峰和明さんの森正人著『古代心性表現の研究』『龍蛇と菩薩』、金文京さんの小峰和明著『予言文学の語る中世』、岩崎雅彦さんの小林健二著『描かれた能楽』に対する書評が載っており、いずれも読み応えのあるものでした。