夏到来

梅を漬けました。砂糖だけで作る梅ジュースです。今年は梅が不作だというので、やめるかな、と思っていたのですが、スーパーが売れ残りを3割引で出していたので思わず買ってしまいました。去年、砂糖が少なすぎて失敗した(レシピは梅1対砂糖1になっていますが、我が家は例年、梅2対砂糖1)ので、砂糖を買いに行かなくては、と思ったのですが、朝からカンカン照り、街がけぶっている。外へ出る気になれません。いつも一晩水に浸けてあくを抜くのですが、暑いせいかその間にもどんどん傷んでいく。

午後からオンライン会議。Zoomのバージョンによるのか、なかなか繋がらない人もいて、その間出席者は雑談をしました。京都は35度だという。鳥取は去年の今頃、袋川(市内を流れる川です)が氾濫したっけ、などと言っているうちに繋がりました。

今年は季節の足並みが揃いません。通常なら束になって流れていく時候がばらばらに、遅速をずらしながらしかしスピードを上げて、通り過ぎていく。

我が家のベランダでは、薔薇が不作だった代わりに石榴の花がいつもより多く、つぎつぎに咲き、終わると梔子の蕾が出ました。鉢が小さすぎて樹勢の弱くなった木にも残らず蕾が出たので、落ちてはいけないとせっせと水をやっています。一番花は剪って仏壇に上げ、夜はあるかないかの芳香が室内に漂います。去年は殆ど咲かなかったランタナが、新芽とほぼ同時に花をつけ始め、しかし買ってきた日々草は何故か不調。夏の花でも、もはや日本の気候は過酷すぎるのかも知れません。

硝子の食器を出しました。早くも、こまめに水分を・・・と言われるので、楊桃の実を砂糖水で煮ました。薄紅の甘酸っぱいジュースができるので、冷やして飲みます。野趣があり、疲れが取れます。昨夜漬けた梅は、慌てたので蔕を外すのを忘れました。

豊後便り・草千里篇

別府暮らしの友人が、阿蘇へドライブした、と写メールを送ってきました。

草千里

【東京は暑くなったようですね。別府は28℃~29℃くらいでしたが、湿度は高くなってきました。こういう時は高原が涼しいに決まっている。阿蘇の内牧温泉にあるバラ園へ、今年最後の春バラを見に行こうと思い立ちました。九重インターで高速を降りて、あとはひたすら南へ一直線、小国町を通り抜けるとそこはもう阿蘇市です。所要時間1時間半。

阿蘇も、そこそこの観光客で賑わっていましたが、ほぼアジア系の外国人たちのようでした。彼らはバスツアーではなくて、2人連れとか家族で、熊本や福岡からレンタカーで来ているようでした。路線バスを利用している人たちも多くいました。】

草千里は三好達治の詩が有名です。春、学会旅行で行った時、牛になってここで暮らしたい、と言って、周りにいた先輩たちから嗤われました。後年、初秋にタクシーで外輪山を一周した時は、秋草の花が天に向かって咲き、いい思い出になりました。

阿蘇の薔薇園

【写真はフランスのデルバールというバラの育種会社が売り出している画家の名前を冠したシリーズです。まだ植栽している大きなバラ園は少ない品種です。】

トゥルーズ・ロートレック

【車の少ないワインディングロードをのんびり走るのは、実に快適でした。ドライブの途中で車を止められるスペースがあれば、眼下の風景を写真に撮りながらの小旅行になりました。往きはナビの指示通りに走ったら大正解(都会ではナビに従うとひどく時間がかかることが多い)。帰途は夕方になり、ナビの案内するルートがしょっちゅう変化し(途中通過する町で帰宅渋滞があるからか)、指示に従った結果、3時間もかかってしまいました(自分の考え通りに走ればよかった)。ナビの使い方を学んだ一日でした。】

カミーユピサロ

さすがマニアの追っかける薔薇、斑入りやぼかしが凝っています。

コロナな日々 40th stage

先週、エノキさんが体調不良で休むとの連絡が、当日になって家事代行会社からありました。若い会社のせいか(でも、この業界ではすでに老舗。熊のロゴ入り赤エプロンが制服です)、顧客に連絡してくる担当者の口上がいちいち非常識。最初から全部書いたら、小冊子が1册できる量なのでここでは省きますが、今回もいきなり、来週2名伺わせることもできます、と言う。我が家はもう10年ほど、毎週同じ曜日の同じ時間、同じ人に来て貰っているので、2週間後に2人派遣という発想がそもそも突飛。断ればよかったのですが、かっとなって、いつなら派遣できるのかと訊いてしまったので、すったもんだの挙句、3日後に代理の人が来ました。

術後がよくないのかと心配したのですが、今週はぶじエノキさんがやって来て、どうもコロナに罹ったらしかったと言う。熱は出ず、咳と喉の痛みで病院へ行き、念のため検査したら陽性だったそうで、すでに隔離期間の5日間も過ぎてしまっていたため、咳止めしか貰えなかった、とのこと。1週間休んで陰性になったので、職場復帰した由です。

コロナはじつは終わっていません。インフルエンザか夏風邪並みに症状が軽くなっただけで、患者は増えたり減ったりしながら一定数発生し続けているらしい。エノキさんは台東区に住んでいるのですが、祭礼があって外国人観光客が多かった後、咳、喉の痛み、発熱の売薬を求める人が殺到したと薬局に勤める友人から聞かされたそうです。

気温が上がって、街では老人もマスクをせずに出歩いています。私は乗物と店に入る際にはマスクをし、消毒液の置いてある所では必ず手指消毒をするようにはしているのですが、気休めかもしれません。ウィルスが進化して、毒性を弱め広く生存できるようになったわけで、耐性の弱い高齢者や病後の人も街には大勢いることを、お忘れなく。

山城便り・夏椿篇

伏見の錦織勤さんから、上横手雅敬さんの近況を知らせる新聞記事が送られてきました。平家物語の連続市民講座が200回を迎え、頼朝と義経の不仲の真相を説く講演があったそうです。93歳、誰に対しても穏やかに丁寧に接するのが、ご自身の健康法でもあるのかもしれません。

泊村から来た夏椿

【夏椿が咲きました。鳥取時代に、泊村の植物園で購入したものですが、ずっと花が咲かないまま、京都に持ってきて、確か2年目ぐらいに1度咲きました。6年目の今年、2度目の花が咲きました。朝5時過ぎに撮ったものと、7時過ぎに撮ったもの、2枚送ります。花びらの開き方が違っています。】

夏椿の花

夏椿は一日花です。夕方には萎んで落ちてしまいます。宇都宮大学在勤の頃、正門の中にこの樹の並木があって、季節には門衛が落ちた花を掃くのに追われていました。

門衛が一人は沙羅の花を掃き一人は梅の実を掃く朝な(2001/6嘱目 mamedlit)

別名「沙羅」

NHKがニュースで、この花を沙羅双樹平家物語に関係があると紹介していましたが、それは園芸で使う別名。平家物語に出て来る沙羅の木は喬木で、花は黄緑色で目立ちません。一日花ではかなく、白く咲く夏椿は、沙羅の花に擬えられたのでしょう。

【自転車で府立図書館(平安神宮の前)まで行ってきました。来週ぐらいから梅雨に入るかもしれないということだったので、その前に、本を借りて返しておこうと思ったからです。今日は朝から結構暑くて、持って行った水500mlを途中で飲み干し、それでも喉が渇いて、帰ったらビール、と思いながら自転車を漕いでいたのですが、家にはビールの買い置きがなくて、力が抜けてしまいました(錦織勤)】。

金麦を買っておかないのは、ときどき痛風の起こる夫への、賢妻による策略でしょう。

お薬手帳

皮膚科を開業している従妹のクリニックへ、アレルギーの薬を貰いに行きました。コロナ禍以来完全予約制になったのですが、夕方4時間しか開けていない(昼間はフリーランスで麻酔科医をやっている)ので、予約の取れないクリニックになっています。バスと地下鉄を乗り継ぎ、一里塚の木立を目指して歩きました。蒸し暑い日です。

10分刻みの予約なので、待合室には2,3人しかいませんでした。14歳年下の従妹はちょっと身体が小さくなったかな、というだけで変わりはないようです。年を取るにつれて、母親そっくりになってくる(これは本人には言わずにおきました)。

毎年の健診結果も見て貰うことにしているので、2年分のデータを出して体調を説明し、カンペキ、と言われました。内科のことはかかりつけの先生の言うことをきくように、とは言うものの、もう1人の眼で見て貰っておけば安心感があります。かかりつけ医は抗コレステロール薬に拘泥するが、私は数値を見ても不要だと思って処方の5分の1にしている、と言いながらお薬手帳を出したら、私がほんとに薬を使わないのに半ば呆れたようでした。風邪薬も飲まないの?と言うので、風邪気味でも薬なしで治す、と答えておきました(父がいた頃は卵酒で治した)。抗アレルギー薬について、弱い薬だけどそれでも眠気やふらつきがあるなら、自分で服用量を減らしてもいい、と言ってくれました。日常の健康管理は、守れる程度の指示でないと続けられません。

お互いトシを取ったなあ、とひそかに思いながらクリニックを出て地下鉄に乗り、農学部前から本郷通りを歩いて帰りました。シャッター商店街になった街、喫茶店こころは閉まり、フルーツパーラー万定は蔦にびっしり閉じ籠められていました。木下闇に白い紫陽花やノリウツギヤマボウシの花が咲いています。帰ったら汗びっしょりでした。

越前だより・和紙の里篇

福井高専に勤め始めた大谷貞德さんから、写メールが来ました。

越前和紙の里

【越前和紙の里今立の、紙の文化博物館を訪れました。博物館には様々な和紙が展示され、和紙を作る工程が映像で紹介されていました。その後は町を散策し、近くにある(博物館からは約1キロの道のり)岡太神社・大滝神社へ詣でることにしました。】

國學院の大学院ではずっと、書誌学の専門家を講師としてお招きしていたので、彼も紙に興味があったようです。10年前、私の定年記念ゼミ旅行で伊豆へ行きましたが、初めて三椏の花を見て、みんな興奮していました。

今立は私も半世紀前、非常勤先の高校の先生方と一緒に訪れたことがあります。春休みだったのですが未だ雪が深く、地元の御案内で和紙作りの現場を見学しました。屋根まで雪が積もった工場は窓も扉も開けっ放し、床には清水が流れていて、凍えるような寒さでした。その中で、素手で流水に浸した原料を扱い、漉いた和紙は1枚ずつ、大きな板に貼って乾かしていくのです。

岡太神社・大滝神社の鳥居

【案内板には和紙の神様を祀っているとあります。歴史も古く、奥の院は『延喜式神明帳』にも記載されているようです。想像していた以上に立派な神社で圧倒されました。私が詣でたときには参拝者は誰もおらず、静寂に包まれた境内を歩いて、参拝することができました。】

岡太神社・大滝神社

ウェブで調べると、2つの神社が同居しているようで、屋根に特徴があるらしい。

神社本殿

赴任して2ヶ月、中間考査の準備もできたので、久方ぶりに歩き回り、いい気分転換になったとのこと。試験は、じつは教えた側の結果がありありと出るもの、いよいよ本道にさしかかってきましたね。

ロック

音楽のジャンルとしてのロックに由来する、形容動詞的「ロック」は内容が漠然、というより茫漠な語です。ロック魂とか、ロックスピリッツとか、ロックな生き方というような使い方をされることがあって、仲間うちでは解って使っているんだろうな、と何となく許容されている語です。一般的に説明するとすれば、反骨精神とかやせ我慢とか、大音量の電気ギターが奏でる強いビートに合わせたキレキレのダンスが独りで踊れる心身とかが、必須になるでしょうか。

小学校の担任が児童の許せない言動を叱責する時、「ロックじゃねえ!」という決まり文句が出て、成人した今でも思い出すという投稿に、渋い脇役で著名な俳優が感激したという記事を読みました(朝日新聞朝刊6月8日オピニオン欄)。へえ、あの役者はその世代だったんだ、と興味を惹かれたのですが、彼は心身に贅肉をつけない、全体主義を警戒してアンチテーゼを提示するのがロックだ、その要諦は般若心経の「色即是空空即是色」だと語っています。

10年前、退職記念講演には限られた時間しか貰えませんでしたが、私は「平家物語はロックだ、シャウトもあればバラードもある」とまくし立てて壇を降りたので、学生たちは煙に巻かれたようです。退職したら無限に自由になるんだと思い込んでいたので、ビジュアル系のロッカーが、無常の偈をロックで歌ってみせたことを思い出し、平家物語を現代の表現媒体と演出に載せてみたいという、かねてからの夢想を語ったのでした。勿論、そんな境遇には恵まれませんでした。

猫の写真集が流行った時、仔猫がスタンドマイクに向かって欠伸をしている写真にこんなキャプションがつけてありましたー「小声で言えば愚痴、叫べばロック」。