源平の人々に出会う旅 第79回「福岡県・木の丸殿」

 寿永2年(1183年)7月25日に都落ちした平家は九州の太宰府に逃れ、安徳天皇は地元の武士原田種直の宿所に入ります。覚一本『平家物語』は、「内裏は山のなかなれば、かの木の丸殿もかくやとおぼえて」かえって優雅な風情であると記しています。

【朝倉木丸殿旧跡】
 木の丸殿は、斉明天皇が朝倉橘広庭宮(朝倉市)に造ったという丸木の御所です。朝鮮半島に出兵するため、この地に朝廷を遷したのです。

 

斉明天皇御陵跡】
 ところが、高齢の斉明天皇はまもなく崩御し、日本軍は朝鮮半島の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)で大敗します。これが、663年に日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との間に行われた白村江の戦いです。

 

【水城(みずき)跡】
 翌年、中大兄皇子は唐・新羅の侵入に備えて太宰府周辺に水城と呼ばれる防壁を築き、警備として防人(さきもり)を配置しました。防人が家族との別れや望郷を詠んだ歌は「防人歌(さきもりのうた)」といわれ、『万葉集』に載録されています。

写真の柵内が水城で、今ではあまり高く見えませんが、13mほどに盛土をしたとされています。

 

〈交通〉
木の丸公園(木丸殿旧跡・斉明天皇陵)…西鉄バス恵蘇ノ宿
水城跡…西鉄下大利駅鹿児島本線水城駅
                      (伊藤悦子)