源平の人々に出会う旅 第70回「浅草界隈・頼朝伝説」

 治承4年(1180)、石橋山の大敗で房州に逃れた頼朝は勢力を整えて鎌倉に入りました。その後文治5年(1189)には、奥州征伐へ向かいます。この時、頼朝は浅草付近を通過したというので、複数の伝説が点在しています。なお、『吾妻鏡』治承5年(1181)7月条には、鶴岡八幡宮の造営の際に、浅草の大工を呼び寄せたという記事があります。

浅草寺イチョウ
 浅草寺は頼朝が戦勝を祈願したとされ、境内には頼朝が植えたと伝わる大イチョウがあります。また、頼朝の父義朝が奉納したという榎観音も伝わっています。

 

【石浜神社】
 隅田川沿いにある石浜神社も、奥州征伐の際に頼朝が社殿を寄進したと伝わっています。


今戸神社
 今戸神社は、康平六年(1063)、源頼義・義家父子が奥州討伐の際、この地に石清水八幡を勧請したのが始まりとされています。現在は縁結びの神社として知られ、いたるところに招き猫の像や置物があります。新選組沖田総司の終焉の地ともいわれ、境内には記念碑が建っています。


〈交通〉
 都営浅草線東武線浅草駅
         (伊藤悦子)