治承4年(1180)5月、高倉宮以仁王と源頼政が打倒平家を志しますが、敢えない最期を遂げます。覚一本『平家物語』では、平家が頼政の首を回収出来ず、史実においては以仁王の死が不明瞭なことから、その後の二人の伝説が全国各地に広がります。
【大内宿】
九条兼実の日記『玉葉』には、以仁王や頼政一族の生存説が頻繁に記されています。たとえば10月8日の日記には、以仁王と仲綱(頼政の嫡男)が伊豆国に入ったとする噂が記されています。現在よく知られている伝説は、以仁王が長野県や群馬県などを通って大内宿(福島県南会津郡下郷町)に逃れたとするものです。
【大内宿・高倉神社一の鳥居】
大内宿は、今なお江戸時代の町並みが残る宿場町として有名です。宿場の中心にある、高倉神社の鳥居がひときわ目立ちます。
【高倉神社】
高倉神社は、以仁王とその愛馬を祀っています。また、大内宿には以仁王の妃紅葉御前と侍女桜姫の伝説もあり、桜姫の墓とされるものも存在しています。