松尾芭蕉は『平家物語』の影響を受けている著名人の一人です。たとえば、『おくのほそ道』の旅では、義経や義仲らのゆかりの地を多数訪れています。なお、書名は『奥の細道』と表記されることが多いのですが、芭蕉みずから書いた表題は「おくのほそ道」です。
【奥の細道むすびの地碑】
元禄二年(1689)三月二十七日、芭蕉は千住(足立区)から舟に乗って旅立ちます。約半年かけて東北・北陸を廻り、そして九月三十日、旅の最後となったのが岐阜県の大垣です。ここにおいて、旅の途中で別れた河合曽良をはじめ、多くの弟子や俳人との再会を喜びあいました。
【奥の細道むすびの地】
芭蕉は『おくのほそ道』の最後を「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」で締めくくり、旅立ちの際に詠んだ「行く春や鳥啼き魚の目は涙」と照応させています。「ふたみ」というのは伊勢国にある二見の浦をかけており、芭蕉は伊勢を目指して、また舟で旅立つのでした。
【芭蕉句碑】
「名月や北国日和定なき」
むすびの地に建つ芭蕉句碑の一つです。芭蕉は越前国で燧が城(義仲の城)を遠目で眺め、九月十四日に敦賀に到着します。翌十五日の名月を楽しみにしていたところ雨が降ってしまい、北陸の天気はあてにならないものよと詠んだ句です。