源平の人々に出会う旅 第85回「嵯峨嵐山・西行伝説」

 "旅する僧"として全国各地に伝承を持つのが空海行基、宗祇、西行などです。なかでも、宗祇や西行が、旅の途中で出会った子供が詠んだ歌のレベルの高さに驚いて道を引き返したというパターン(西行戻り伝説と呼ばれる)の伝承は興味深いものです。

【歌詰橋(竜門橋)】
 嵐電嵯峨駅の近くを流れる瀬戸川に架かる歌詰橋にも2種の類話があります。西行がこの橋のたもとにあった酒屋で歌を詠みあい、返歌に詰まったというものと、西行が子供と歌の贈答をして負かされたというものです。歌詰橋の名もその伝承にちなんでいます。

 

【ニ尊山西光院】
 出家した西行が、ここに庵を結んだことが起源の寺と伝わっています。西行は俗名を佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽上皇に仕える武士でした。義清は二十三歳の若さで出家します。その理由は不明ですが、同僚の急死、または身分違いの恋が原因とする作品もあり、『源平盛衰記』は後者です。


西行桜
 西光院の境内には、西行が植えたと伝わる桜があります。西行の家集『聞書集』や『山家集』によると、嵯峨や東山など、複数の地に草庵を結んでいたようです。崇徳院の宮廷に出入りし、読み本系の『平家物語』や『保元物語』には、西行讃岐国の松山にある墓所を訪ねて、帰京の叶わなかった院の霊を慰める記事があります。


〈交通〉
京福電鉄嵐山駅・JR山陰本線嵯峨嵐山駅
              (伊藤悦子)