源平の人々に出会う旅 第76回「鹿嶋市・源氏と鹿島神宮」

 鹿島神宮常陸国一宮)は神武天皇元年の創建とされ、武甕槌(たけみかづち)大神を祀っています。源氏とも深い関わりがあり、頼朝から崇敬されていたことなどが『吾妻鏡』に記されています。

【大鳥居】
 治承5年(1181)閏2月4日、都では平清盛が死去します。しかし、依然として諸国は鎮まらなかったので、3月12日、頼朝は諸国安泰を願って鹿島神宮に同国塩浜・大窪・世谷を寄進し、鹿島三郎を当社の惣追捕使に定めます。また、同年10月12日には、同国橘郷を寄進しています。


【楼門】
 寿永2年(1183)2月、同国浮島(稲敷市)に居住する志田三郎先生義広(信太義憲とも)は鹿島神社領を掠領し、それが発端となって甥の頼朝と対立します(第63回「東京・志田義広」参照)。


【奥参道(流鏑馬道)】
 寿永3年(1184)1月23日、鹿島神宮の使者が鎌倉に到着し、「去る19日の社僧の夢で、当所の神が義仲と平家を追討するために京都へ向かった」と報告します。それを聞いた頼朝が社の方向を拝すと、京と鎌倉で雷と地震が起こります。翌20日、黒雲が宝殿を覆い社殿が大きく振動するなどの奇瑞が現れたとされ、この日に近江国で義仲が最期を遂げています。


〈交通〉
JR鹿島線鹿島神宮駅
     (伊藤悦子)