源平の人々に出会う旅 第72回「京都・仁和寺」

 寿永2年(1183)7月25日、木曽義仲の進撃によって平家は都を出て西国へ落ちて行きますが、『平家物語』には、平家の人々のそれぞれの別れが記されています。「経正都落」もその一つです。

仁和寺北庭】
 宇多法皇仁和寺を御所(御室御所)として以来、仁和寺は皇族出身者が代々住職を務めました(皇族が住職を務める寺院を門跡寺院といい、仁和寺もしくはその住職は御室と呼ばれます)。都落ち当時の御室は守覚法親王後白河院の皇子)でした。

 

五重塔
 平経正(経盛の子・敦盛の兄)は、幼少期に稚児として守覚法親王(史実は覚性入道親王)に仕え、琵琶の名手だったことから、青山という名の琵琶を預けられていました。都落ちの際には守覚法親王に別れを告げ、大切にしていた青山の琵琶を返却します。この逸話は守覚法親王著『左記』にも記されています。


【御室桜】
 境内にある御室桜は、低木で遅咲きなのが特徴です。低木になる明確な理由はまだ解明されていませんが、秋里籬島『都名所図会』(安永9年(1780)刊)には、「山嶽近ければつねにあらしはげしく、枝葉もまれて樹高からず」とあって、かつては強風が原因と考えられていたようです。


〈交通〉
 京福電気鉄道北野線御室仁和寺駅
            (伊藤悦子)