源平の人々に出会う旅 第61回「横浜市・畠山重忠の最期」

 元久2年(1205)6月22日、由比ヶ浜で畠山重保が騙し討ちされます(第60回「鎌倉市・御家人その後」参照)。父重忠は、居住地の菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町)から鎌倉に向かう途中、二俣川横浜市旭区)で北条義時軍に襲撃されました。

【二股川古戦場・さかさ矢竹】
 重保の死を聞いた重忠は退却せず、わずかの手勢で激しく戦いますが、愛甲三郎季隆の矢に倒れます。42歳でした。重忠が死の直前に「我が心正しかればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と、矢箆二筋を地面に突き刺すと、その矢が根付いたという「さかさ矢竹」の伝説があります。

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畠山重忠首塚
 翌23日、重忠に謀反の意思はなく、牧の方らの陰謀であることが明確となり、御家人達は悲嘆にくれます。二股川古戦場の近くには、重忠のものとされる首塚があります。

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薬王寺(六ッ塚・霊堂)】
 薬王寺は、畠山一族とその従者達の霊堂です。境内には、畠山主従一同を6ヶ所に葬ったとされる六ッ塚があります。

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〈交通〉
相鉄線鶴ヶ峰駅
    (伊藤悦子)