怪我の功名

花鳥社の新事務所へ打ち合わせに行きました。来秋出す予定の本に、新資料の論考を急遽依頼することになったためです。神保町と水道橋の間、ビルの4階、未だ看板も出ていませんでしたが、ようやく荷物の開梱が終わって床が見えるようになったとのこと。神野藤昭夫さんも来ていて(示し合わせたのですが)、何やら打ち合わせしていました。

5年前、永年勤めた出版社を退職した橋本孝さんを追って出てきた社員3人が起ち上げた花鳥社。ついに神保町へ凱旋したのです。お祝いに神保町の酒を呑もうじゃないかということで、5人で夜の街へ出ました。歩き慣れていたはずの神保町ですが、すっかり建て替わりが進んで、マンションだらけになり、私にはもう元の小路がどれやら思い出せなくなりました。小さな取次店が随分やめたそうです。

神野藤さんとの関係を訊かれましたが、同い年、もう古い話ですがNHKの「古典への招待」という番組出演で一緒になり、話してみれば高校の学校区が同じというわけで、老友関係が続いているのです。麦酒で祝杯、吉田健一が愛したビーフパイやポテトフライを囲みながら2時間ほど、あれこれお喋りしました。橋本さんに近況を訊くと、家内に先立たれた寂しさがじわじわ利いてきた、生前は出来上がった本を最初に見せるのが楽しみだったと言うので、仏壇に供えているかと訊くと、仏壇が小さいので、と言う。じゃあ仏壇の前に台を置いて、そこに本を載せて晩酌しなさい、と勧めました。愛猫に死なれたのもこたえる、と言うので、You Tubeで猫動画を視ている内に自分ちの飼猫のような気になるよ(猫の方は知らないけどね)、とも伝授しました。

神野藤さんと帰りのタクシーの中で、傾向の違う国文学の出版社が2つ増えて、めでたしめでたしになったね、と話し合いました。怪我の功名と言うのかな、とも。