歌合を読む

錦仁さんの『歌合を読む―試みの和歌論』(花鳥社)を読みました。全390頁、表紙カバーに棟方志功の版画をあしらった、重量感のある本です。歌誌「炸」に、「歌合の判詞を辿る」と題して2006年から2019年まで連載したエッセイをまとめたのだそうで、引用和歌の初二句索引のほか歌合・歌学書や歌人の索引もついています。

一言で言うと、たいへん元気のいい和歌史です。比喩と断定に満ちた日本和歌文学史、と言ってもいいかもしれません。源俊頼と俊成の歌合判詞が中心に据えられていますが、国生み神話から近世の国学者、藩主の歌作まで話題は広く、ぽんぽんと連想や断定的評価が飛び出します。あちこち重複している内容や、単行本化の際の修整が整合しなくなっている部分もあり、できればもう少しコンパクトな本で読みたかった気もしますが、著者としては割愛することができなかったのでしょう。

和歌が元来、読み上げられるもので音声を意識して成り立っていること、王権(国家)との関係を保ち続けてきたこと、言葉や事物の本意についてきっちりと伝統を踏まえて音数律の定型に則りつつ、どうやって新味を出すかに命を賭けてきたこと、詠み手の個性とは歌合のような相対的な場において認められるものであったこと等々、現代短歌の実作者に向けて、古典和歌の基本を華麗に説いています。

殊に和歌を1首ずつでなく、また歌論を独立した美学としてでなく、歌合の中で読み解いていく視点は貴重です。中央歌壇だけでなく中央と地方の関係を意識し続ける文学史にも共感します。しかし結尾に来て仰天。『国体の本義』をここに挙げる理由は、もっと丁寧に説くべきでしょう。千仞の功を一簣に欠く。

なおルビが気になる箇所(p209敏馬=みぬめ、p334l1侍=さぶら)がありました。