平曲の感情表現

鈴木孝庸さんの「平曲における感情表現―登場人物の発声とその曲節ー」(新潟大学「人文科学研究」150)を読みました。軍記物語講座2『無常の鐘声―平家物語―』(花鳥社 2020)に書いた「平家語りー声による平家物語の解釈と表現―」の続考だそうです。

鈴木さんは平曲譜本の研究と共に、近世の譜本『平家正節』を通して平曲を伝える故橋本敏江さんの弟子として、全200句を習得、自ら語りながら平曲の本質を解き明かそうとしています(中世にまで遡る概念としては「平家語り」という用語を使うのが、最近の研究動向。鈴木さんは現行の平曲から室町まではおよそ遡れる、としていますが、鎌倉期については今後の課題と考えているらしい)。本論文は短い(紙数の大半を、発話の中の曲節変化について、『平家正節』の曲節「折声」と「強声」に続く曲節の分類結果に費やしていて、普通ならこれは一覧表にしてまとめるところ)ものですが、いわば次の作業への中間的階梯なのでしょう。

近世の平曲指南書『当道要抄』は、平曲演誦者の心得として、「我も其の身になって、似つかわしく語りなす」のが上手であり、「さりとてあまり思い入れの過ぎたるは思い入れの無きよりも悪しし」と念を押しています。鈴木さんは、自らが師から習った経験をも併せ考えて、これは発声表現についての指示であって、演誦者がそういう気持ちになれと言っているのではないとし、さらに曲節よりも細かな指示である墨譜の検討も必要だが、平曲は純粋音楽であって、音声による模倣や感情表現で構成されるわけではないことを証明するのをめざしているようです。

浪曲浄瑠璃などの語り物とは異なる、音楽としての構成法をきっちり備えた平曲が、起伏の激しい物語の世界を表現し、聴衆を感動させる仕組みの解明は、これからです。