調査を了えて奈良の自宅へ帰った高木浩明さんから、写真が送られてきました。
県立図書情報館の前の土手だそうです。奈良の並木は八重桜かと思っていました(「いにしへの奈良の都の八重桜・・」の歌がある)が、染井吉野もあるのですね。
山城在住の錦織勤さんに、京都の桜はどうかと問い合わせたところ、平日に醍醐寺へ行ったら人出が多く、霊宝館の特別展は諦めて帰ってきた、毎日の移動の際にあちこちの桜を眺めている、とのことでした。古都の桜はまた格別でしょう。
撮影者は川越の友人です。2018年3月25日に撮ったらしい。彼は京都にもコンドミニアムを持っていて、例年、家族で古都の春を満喫するとのこと。
醍醐寺は、故千明守さんの科研費による共同調査で京都へ行った際(2008年だったか)に寄りました。府立総合資料館の屋代本平家物語と、京都大学に委託されている近衛本源平盛衰記の調査です。季節が未だ早かった(科研費の執行締め切りは3月上旬だった)ため、桜の時の醍醐寺はどんなにいいだろう、と言い合いながら歩きました。
源平盛衰記の写本の殆どは版本の写しですが、それ以前の姿を残す写本で全冊揃っているのは名古屋の蓬左文庫本と、この近衛本だけです。どちらも平仮名書きが多く、誰が何のために作らせたのかと考えると、謎が多い。近衛本は恐らく慶長古活字版の頃の本文をもとに、整版本以降の振仮名を参照したかと思われるのですが、寄合書きながら大型本で、制作過程、近衛家への伝来の経緯などが知られれば、興味ある事実が判ってくると思われます。しかしこのコロナ下ー嗚呼、京都は遠い。