富士の見える日

不要不急の集会は取りやめるようにというご時世、躊躇いながらも開かれた研究報告集会。タイトルは「源平盛衰記の出版と流布」です。いろいろ難関出来の中での開催でしたので、朝、オフコースの「一億の夜を越えて」を歌ってから出かけました。外濠の向こうに純白の富士が見える会場です。源平盛衰記関係資料の展示もありました。

出席者は延べ40人弱。最初にジャパンナレッジを使って検索した、見出し語の初出例が源平盛衰記となっているものは、果たして中世語なのかという問題意識に基づく研究報告がありました。かつて島津忠夫さんが、1冊本の『大日本国語辞典』で初出例に源平盛衰記長門本平家物語』の引用が多いことを取り上げ、出版された文献からしか引用できないという辞書作りの限界を指摘されたことがありました。源平盛衰記は、その成立年代が分かっていないせいもありますが、実際以上に近世的雰囲気に注目が集まりすぎているという疑問もないわけではありません。

私の報告は源平盛衰記の写本と古活字版の関係が、通常の、写本から版本へという方向だけでは説明できないこと、現存の4写本は、それぞれ個性の強い、書写の目的も態度も異なるものであり、特にどれが古いとは言えないことを述べました。長門切からの300年の空白をどう考えていくかという難問にも、改めて注意喚起しました。

午後からは、整版本に関する詳細な調査結果とそこから導く推論の応酬でした。実物も映像も出され、近世の出版文化に詳しい人たちのやりとりが白熱しました。終わって飯田橋で呑もう、と歩き始めたのですが、『平家物語』の死生観について話したい、という学生がどこからか現れ、中世にはなぜ終末ケアの体験記録がないのか、と議論を吹っかけられながら、寒風の中を歩くことになりました。