関西軍記の会101

午後から、関西軍記物語研究会第101回がオンラインで開かれました。当初のプログラムは発表2本でしたが、俄に3本になりました。1本目は岡田三津子さん「古本系『源平盛衰記』の本文ー早大書き入れ本を中心としてー」。ところが我が家はなかなかネットに繋がらず、スピーカーの音量を調整する間もなく始まってしまったので、質疑応答は聞き取れませんでした。発表内容は、岡田さんの従来の伝本評価を踏襲し、校本を作りたいとの決意表明。現存する「古本」の盛衰記写本は、それぞれ書写の目的も方針も異なり、一律に異文として扱うことはできない、との最新の提言を無視した話でした。キメラのような本文を作っても、読者にはそのことが判らず、信じて読むことになります。本文作りとは何か、正しい本文とは、善本とは何か等々についての哲学が必要です。

2本目は浜畑圭吾さんの「長門本平家物語』巻第一の清盛関係記事について」。浜畑さんは長門本成立に真言密教、修験者が関わったとの仮説を立てていて、巻一の唐皮小烏・清盛息女・流泉啄木など、盛衰記と長門本に共通する特異記事に注目、不動信仰との関わり、女性記事重視の意味などに向けて今後の課題を設定しました。

3本目は辻本恭子さんの「平家物語の清盛出生譚」。いわゆる清盛御落胤説について、先行研究を丹念に洗い、発表の意図はどこにあるのか初めは不安を感じましたが、落ち着いた話しぶりの行く先は、源平盛衰記壬申の乱記事に注目して、院の落胤が臣下になる説話に焦点を当てようとしていることが判りました。読み本系諸本の構想の底流には、清盛(平家)の王統侵犯を批判する論調があり、それが平家物語初期から構想にあったものかどうか、深掘りしてみるのも面白いかもしれません。

窓外の家で水遊びする子供の絶叫や、宅急便の来訪に寸断されながらの半日でした。