源平盛衰記全釈17

早川厚一さんたち8人の共著「『源平盛衰記』全釈(17-巻6ー1)」(「名古屋学院大学論集人文・自然科学篇」58:2)を読みました。早川さんが中心になって、日本文学・日本史・日本語学・中国文学などの研究者がメールでやりとりしながら作業をしたそうです。慶長古活字版の本文、近衛本・蓬左文庫本・静嘉堂文庫本の校異、注解、引用研究文献を掲出、今回は巻6の冒頭「丹波少将被召捕」から「西光父子亡」の途中まで、三弥井書店刊の校注本でいえば第1冊のP189~200に当たります。

私は『源平盛衰記年表』(三弥井書店)と校注本『源平盛衰記(一)』(三弥井書店)を手許に置いて読んだのですが、史料では顕広王記と愚昧記が付け加えられ、関連する研究論文が多数参照されている点が特徴です。

校注本では写本の振り仮名に従って「いたはしく」とルビを振っている「痛」は、副詞「いたく」と訓むべき、とのp95下段14行目の指摘は尤もです。「咄己」を「やおれ」と訓むべきとするp84上段7行目の提言は、あり得そうではありますが、「やおれ」は目下の者への呼びかけ、と角川古語辞典にあり、意味的にどうでしょうか。

p109下段1行目の「誤写」は「誤読」。p84下段3行目「打傾テ」の主語は清盛で、季貞は「暫候テ」、清盛に言う言葉を選んでいたのでしょう。p78下段3行目の「申行フ」は単に「申し伝える」以上に、「はたらきかける」意を含んだ語だと思います。

p53の「無事(なきこと)ナラバコソ」は、「無実だからこそ」ではなく、「ヨクコソ云タレ」を承け、「ほんとのことだから」「当たっていないならともかく(図星だから)」との意。

このペースではいつ巻48まで辿り着くのか、早川さん、長生きして下さいね。