軍記物談話会抄史(8)

会員数が増え、次第に研究会から学会規模に近づき、少しずつ規定や慣例を整備してきた1990年代は、思えば最も賑やかな時期だったかもしれません。私は名古屋に勤務し、名古屋大学OBを中心とする名古屋軍記物語研究会に参加していました。早川厚一さんが活動の中心でしたが、長谷川端さん、大森北義さんや私のような他大学出身者、郷土史家も巻き込んで、研究発表・実地踏査が夏に行われました。

東京の軍記の会にはたまにしか顔を出しませんでしたが、賑やかそうなのに、若手が発言しない、発表したがらないという嘆きが聞こえてきました。出てみると、なるほど、発言しにくい雰囲気が出来上がっているように思われました。発表が終わるやいなや飛びつくように「先行論文は××、○○・・・」というコメントがあり、会場を横断して我田引水的な発言が飛び交う。そして一方的に、「親睦的」とりなしに収拾されて終わる。いつも出ていると判らないかもしれませんが、たまに行くと、一種の排他的、私的空間を感じました。会の後の呑み会などでは、噂話(人事や著作へのこき下ろし)が横行していたらしく、私の耳にも届き、取り次いだ人に怒ったこともありました。

その頃書いたのが、研究展望「『平家物語』研究のゆくて」(アエラムック『平家物語がわかる。』1997)です。懇親を兼ねた呑み会を始めたのは私の代でしたが、最後まで真剣な討論のままで別れる習慣にしておくべきだったか、とひそかに反省もしました。

名古屋軍記物語研究会は2001年に閉じられました。組織には寿命というものがあるのかもしれません。初心を喪い、再生ができなければ、やめどきを見極めるのも必要です。2003年からは企画例会と称して、学会を模したようなシンポジウムなどが多くなり、個人の発表は少なくなりました。今や会員数は200を遙かに超えています。