軍記物談話会抄史(9)

卒論に『平家物語』を選んだとき、私の指導教授(俳諧が専門でした)は「平家物語なら、新しいから何でも言えるよ、源氏物語伊勢物語とは違う」と言われ、その場では何のことか分かりませんでした。後年、連歌その他「古典」を背負った文学を知ってから、言われたことを理解しましたが、さらにずっと後になって、べつの意味で、あの言の重さを考えるようになりました―それは、軍記物語には研究方法の古典学的伝統がない、逆に、新しい分野特有の難しさがある、ということです。

戦後、説話と軍記は新しい国文学研究の中核にあった、と前述しましたが、説話文学研究はその後、ジャンル意識を変え、一種の脱皮をしました。しかし軍記はどうだったか。語りの黄金伝説、歴史其儘と歴史離れ、原本を求める諸本研究ー本文を比較対照し、史料との相異を指摘し、登場人物周辺に成立を想定する・・・半世紀以上、いわゆる「通説」の枠内で生産される論文が殆どです。先行研究を知っておくのは科学として当然ですが、すでに設定された学説の枠そのものにも問題があるかもしれない、と不断に疑う姿勢が、人文学には不可欠でしょう。殊に、軍記物語は歴史的事実が題材であるが故に、研究上の仮説の抽象性を忘れがちです。

会員200人を超え、「軍記・語り物研究会」と名を変えてから、運営上の悩みが屡々総会の議題に上るようになりました。発表者がいない、例会での若手発言が少ない、委員の引き受け手がいない、機関誌の査読は荷が重い、在庫の量が増えて置き場がない等々。そのつど解決法の提言をしても実行されず、次第に愚痴になっていく。来年は設立60年目です。若手が自由な研究をめざして発足し、年長者が若手を応援しようとしてきた会が、もはや若手の重荷でしかないならば、継続に固執する理由はないのでは。