朝日新聞が年末から年始にかけて、「百年未来への歴史 デモクラシーと戦争」と題する6回連載記事を載せました。昭和百年目、デモクラシーの危機が言われるこんにち、未来に向けて考えようという趣旨でしょうか。その中、31日の「膨らむ借金 許した先は」と3日の「開戦 「勢い」に流されて」は、ぜひとも多くの人に読んで(さらに議論して)貰いたい、と思いました。
何故なら、「さきの大戦」へ突き進んで行ったあの頃の事態と現在の国内外の状勢とは瓜2つ、しかも日本人の大半が、あの頃から少しも変わらぬ処世の姿勢で社会に対応しているからです。つまり、このままでは「いつか来た道」を引き返せなくなる。他人事ではありません。野心に満ちた野党の、朝三暮四まがいの「手取りを増やす」に目を奪われている場合ではない。
財政の基本的な箍が外れ、それを憂う財務官僚を敵視する風潮が広まっているという。ただでさえ「政治主導」に怯えて意気地がなくなっている官僚たちが堤防にならなくなり、無責任な「紙幣をじゃんじゃん刷って」式の音頭に乗っていたらどうなるか。今日のTV報道によれば、米国の次期大統領はNATO諸国に軍事費を国民総生産の5%にしろと言い始めています(米国自身は3%だそう)。弊国は2%にする財源も未だ決まらずにいる。
その場の「勢い」には逆らわない、そういう態度が責められることはない社会で、そのまま従いて行ったさきに、あの子の笑顔を守れるか、いまの暮らしを守れるか。連載の最後は司馬遼太郎を取り上げ、歴史から何を学ぶか、どういう歴史を語り残すべきかを論じています。歴史文学を専門にしている私はこの論調に必ずしも賛同はしませんが、一人一人の、毎日の言動が、百年後をつくる、ということは覚えていたい。