小さくなる

母国を再び偉大に!というスローガンは、人を熱狂させるようです。しかし弊国で、大きいことはいいことだ、というキャッチコピーが流行ったのは、随分昔のこと。これからは、国土の狭い日本で、産めよ増やせよで右肩上がりの経済成長を維持していけるとは、いったい誰が保障できるのでしょうか。

女が子供を産みたがらず、年寄りが金を貯め込み、DX化をものぐさがり、そのせいで日本がじり貧になりつつある、といった愚論を検証もせずに繰り返す評論家たちにうんざりしています。多様な生き方を許容するならば、生物学的に制約の多い生殖の機会が減ることは避けられず、そもそも世界的に富が公平に分配されるならば、国土が狭く特殊な資源産出の少ない弊国が、強大国を目指すのは無理でしょう。

SDGsとやらも突き詰めればどれだけ我々が不自由を我慢し、欲望を抑えることができるかという問題になります。ならば拡大ではなく縮小に堪えて質を確保する、という発想が基本にならなければいけない。今はそういう課題に取り組むべき時機ではないのか。

「積極的」専守防衛が可能であるかのように言われますが、憲法九条があるから日本は戦闘行為に加担できないのだとみんなから思われている間はいいが、攻撃能力のある武器を持ち、輸出し、大国の軍隊の肩代わりもできるとなったら、挑発的行為を仕掛けられた時に応戦しないわけにはいかなくなる。やれるのにやらなければ、許容したと言われても仕方がないことになるでしょう。少なくともそういう声が国内からも噴出するに違いない。

小さくなってもそれなりの存在感を保って国際社会で生き延び、人口が減っても人生の満足度を保持できる社会を作るには、どうしたらよいか、可能かどうか。政治家は勿論、学者も評論家もジャーナリズムも、老若の有権者も、そういう議論をしようじゃないか。