衝撃の続いた夜

昨晩、ウクライナ大統領の米国議会演説中継を視ながら、勿論これはロシア首脳部も視るだろうから、両刃の剣だなあ(近く弊国の国会でもやるらしい)と考えました。

引き続きクロ現で、1946年に引き揚げ船でコレラが流行、GHQの指示でそのまま上陸を禁じられ、惨事になっていた経験が現在の感染症対策に活かされていない、という話を知り、あの頃恐かった感染症といえば、アメーバ赤痢マラリアか、結核だと思っていたので、意外でした。食料難、薬不足の敗戦直後のこと、どんなに酷い体験だったろう、と想像しました。厚生省の担当官僚が克明な記録を家族に残していることを知って、ああいう記録は公的に保存すべきだとつよく思います。水際対策(難民受け入れに当たっては、日本人が免疫力を失くしている感染症に注意が必要)とか、公益と個人の権利への制限とかいうスタンスで論じていましたが、そういう問題ではないでしょう。

ボタン付けをしながら、さらに南極観測で昭和基地に置き去りにした犬の話を視ていると、敗戦後の日本が国際地球観測年のプロジェクトでは、不本意なテーマを与えられたかのような説明をしていたので、えーっ、と思いました。南極観測が始まった時は、五輪や万博の誘致よりももっと誇らしげに、国際社会への復帰、日本の技術力が賛美されたのではなかったか。観測隊に参加したキャリアは、煌びやかに語られたものだった―と回想しているところへ、緊急地震速報が画面に被さり、数秒おいて揺れが来ました。

立ち上がろうとしましたが揺れが大きく、そのまま椅子に腰を下ろして待ちました(机の下に隠れろ、という呼びかけは果たして有益でしょうか。現代では建物の天井が重く、机は頑丈には出来ていません)。夜の方が昼間よりも恐怖が大きい。震度4、こけしが落ちたくらいで済みましたが、終夜、上空を飛ぶヘリの音を夢うつつで聞きました。