極東国の使命

劇場型政治という語が流行し、現代ではある程度必然のようにも言われます。演劇人出身の某国大統領が、そのスキルを駆使していることは屡々指摘されますが、現米国大統領もなかなかの役者。いや、舞台の大きさが違う役者であることは明白で、ハグする瞬間(背丈の違いもありますが)、迷子になった息子を抱擁する父親が彷彿としました。

リスクを冒して極秘裏に演出された訪問の成功ー弊国の総理が、G7諸国に遅れを取るまいとキーウ訪問を検討させているとの報道がもし真実ならば、勘違いするな、とつよく諫めたい。欧米諸国と極東の日本とは、同じである必要はない、否同じであってはならないのではないでしょうか。長引く戦闘、両国ともますます引っ込みがつかなくなり、このまま拡大し続ければ、ウクライナを見捨てるか冷戦時代の最も緊張が高まった状態に突入するか、のどちらかしかなくなります。

この間も双方で死者は増え続け、弱者は未来を奪われ、国土は荒れていく。欧米各国はロシアの手の内をありありと見ることができ、軍需物資を提供するだけで自国の防衛対策のための情報を得ることができます(弊国でもTV番組で、軍隊の動かし方や効率的な陸上作戦を得々と論じる人材がこんなにいたのか、と驚くことしきり)。

経済制裁や生産・流通を疎外する戦争の影響が深刻なのは、政治体制に関わらず万国の庶民でしょう。いまロシアに方針変更に至る影響を与えることができるのは、多分中国だけ、そして中国との間で共存を真剣に模索しなければならないのは日本です。軍事支援や劇場型支持表明だけが支援ではありません。戦時中の疎開、戦後の復興計画、中国への説得、極東日本に相応する使命を考えるべきです。さきの大戦でも、戦後復興の準備はひそかに、戦闘初期から始まっていました。