中村文さんの「藤原清輔が見ていたものー『奥義抄』後拾遺集歌注釈をめぐってー」(「武蔵野文学」66 特集「藤原俊成とその周辺」)を読みました。
藤原俊成と同時代に歌壇の指導者として活躍し、しかし実作者としては後代さほど高く評価されなかった藤原清輔について、彼の著『奥義抄』にある『後拾遺集』の注釈を通して、彼が一首の構想に注目し、一語一語の知識よりも語の連関、文脈の重ね合わせを充分に機能させることに重きを置いていたと指摘しています。そして、彼の時代の和歌が新たな表現を求めるあまり、意図が伝わりにくい作になることを予想して、新奇な構想とそれに相応しい、選択すべき表現との正確な関係性を、彼は示そうとしたのだ、言葉の機能や和歌史の方向についての洞察は、非凡なものであったと結んでいます。
同誌は武蔵野書院百周年記念号。巻頭の渡部泰明さんの「古人と「心ならひ」ー藤原俊成「行末は」歌についてー」が、いつもながらの細やかな読みを展開していて、面白く読みました。和歌は1首の中に重層的な時間を抱えることができ、散文のように一直線、一方向の流れとは異なる構成法が可能であるところが魅力であると共に、複数の解釈が生まれる点では厄介でもあります。散文の中に和歌を埋め込むことによって、複雑な叙事法を編み出した物語文学の方法について、この秋和歌文学会で話しましたが(年が明けたら原稿化しなければ)、時折和歌に取り組むと、文学とは何か、に直接対決しているような気分になります。
あとがきに社主が「創業時のことなど少々」と題して、目白台の古書店が出版も手がけるようになり、戦災で無一物になりながら、神田錦町で再起した社史を略述しています。この百年を生き抜いた国文学の版元は稀少です。永続を寿ぎたいと思います。