治世と文化

呉座勇一さんが「歴史家雑記」という新聞コラムで、次のようなことを書いていますー室町時代の政治を肯定できない戦前の歴史教育は、代わりに文化を賛美した。義政の時代の東山文化は、和室・和食・茶の湯・生け花など日本の生活文化の源流として特筆されたのだ。こうした傾向は平安時代への評価にも見られる。

えーっ、そうだったの?東山文化の精神性、冷え寂びを好む成熟性について書いた高邁な論文やエッセイはいくつもあり、教材にも試験問題にも採られ、若い時から大人のものとして近寄り難かったのに・・・しかし落ち着いて他の事例を考えてみれば、文化の隆盛が政治の安定と密接に関係していることは、当然のことと思えます。呉座さんの結論は、上記のような、政治の代わりに文化をという評価に拠ると、①政治が駄目でも文化は花開く ②中国の影響を脱した純粋な日本文化があった という2つの誤解を生む、ということなのですが、問題はそれだけではないでしょう。

目下必要があって、内乱の時代に、政治や合戦と、伝統的文化及び新興の文化とが、どう反応し合い、あるいは脈々と底流を守ったか、ということについて勉強しています。東国武士の台頭と彼らの教養、承久の乱後鳥羽院の和歌、室町軍記の時代と和歌・連歌等々、ツンドクの山を掘り崩していると、知らなかった世界がつぎつぎ展けてくるようで、大掃除も賀状書きも日々先送り。我が家の年越し文化はこのところ、危機に瀕しています。