昨夜、Nスペ「第4の被曝事件」を視聴し、衝撃を受けました。日本は広島、長崎と2度の被爆体験があり、1954年のビキニ環礁水爆実験で漁船が被曝した「3度目」が記憶されていますが、じつは「4度目」があり、それは政府によって隠蔽された、というのです。1958年、国際的海洋調査に参加していた海上保安庁の船2隻が、米国指定の危険地域外を航行中に被曝、放射性物質について知らされていない乗組員たちは、素手のまま海水で船上を洗浄し、その中の1人が1年後、急性骨髄性白血病で亡くなりました。
その妻の証言によれば、政府(厚生省?)の人が来て、このことは日本だけでなくアメリカが絡んでいるから絶対秘密だと言われ、口惜しかったけど、宿命と思って黙ってきた、という。90代でもしっかりした、美人の奥さんでした。勿論補償などはなく、養護教諭として娘を育て上げ、この番組の完成直前に亡くなった、とのこと。
米国には当時の記録があり、期限が来て情報公開されたらしい。しかし日米ともに被曝放射線量の記録は辻褄が合わない数値か、健康には影響がないとしか残っていないという。その後日本では慌ただしく年間被曝量の上限を決めたが、その際、核利用開発のためにという数字(現在も通用している)を決めた、曲学阿世の科学者もいたようです。
ちょうど安保改定交渉が始まり、米国は冷戦均衡のため日本を囲い込みたい時期だったという。必死に安保の必要を説く岸信介が映りました。私は60年安保の時高校生でしたが、自分が右往左往しながら生きてきた現代史を、鳥瞰的に見ればこういうことだったんだ、という衝撃に打たれました。そしてもう1つの衝撃は、別の乗組員が自分の歯を保存するように言い残していて、それを検査したところ、高濃度の被曝が証明されたこと。
遺族の責任感に粛然としました。今年の受信料は、この番組1本に払ってもいい。