アジア系移民

USAで暮らす母方の伯母の孫、Yuri Yamamotoからメールが来ました。

サクラメント大学図書館で曾祖母吉住春子著の『実用造花自在』を手に取ってみることができました。裏見返しに書き込みがあり、日系移民の女性が昭和初期に一時帰国した時に造花の先生から貰った本だとわかりました。日系移民の歴史に関わる特別のコレクションの一部で、一般公開はされていません。染色見本にと染めた布切れを貼り付けたページがありました。100年近く経ってもとても綺麗な色でした。閲覧した後に閉じた本の上に手を乗せて目を閉じていたら、会ったことのない曽祖母や祖母のこと、亡くなった父や叔父たちのことが思われて粛然としました。今もまだ感情の余韻を感じます。

それからアジアからの移民の審査や収容をしたエンゼルアイランドにも行ってみました。サンフランシスコからフェリーです。ヨーロッパ移民を受け入れたニューヨークのエリスアイランドとは違って施設も移民の扱いも劣悪。中国人が壁に彫った七言絶句などが今でも残っています。大戦中には敵性国人の収容施設でした。施設の保存状況も悪く、こういったところにアメリカにおけるヨーロッパ人とアジア人との違いが如実にあらわれています。大戦後だいぶ経ってアジア人の移民が許可されるようになりましたが、労働者中心ではなくビジネス関係や学歴のある者を優先するようになりました。アジア系アメリカ人の歴史はよく知られていませんが、私は数年前に1年かけて勉強する機会がありました。日本に住んでいた頃は、自分はアジア人というより日本人だと思っていましたが、アメリカにいると、アジア系アメリカ人という意識が強くなりました(Yuri Yamamoto)】。

遺伝学やチャプレン活動と関わる上で、自分のルーツを体感したくなったのだそうです。私にとっても、遠かった日米外交史がにわかに現前しました。