奴婢雑人

錦織勤さんの「御成敗式目第41条の「奴婢雑人」について」(「日本史研究」713 1月号)を読みました。錦織さんは最近、身分論にこだわっていて、昨年後半、ストレスで胃をわるくしながら書き上げた、と言っていた論文です。門外漢なので正しく理解できるかどうか危ぶみながらも通読、まずは本誌の字の大きさが嬉しい。以前は何とも思わなかったのですが、雑誌の誌面の読みやすさは論文の印象を幾分かは左右します。

鎌倉幕府法に出て来る「奴婢雑人」という語について、従来の解釈を丹念に吟味し、「雑人」は奴婢と良民(錦織さんは「良人」という語を使っていますが、戦前の小説を読み慣れた眼ではつい、夫という意味に読んでしまう)を包摂する用語だとし、式目41条とその引用に見える「奴婢雑人」は、奴婢という状態にある雑人、という意味だとしました。そして鎌倉幕府は平時には人身売買を禁じていたが、質入れは認めていたこと、良民が質入れされると奴婢となり、訴訟や弁済なしに10年過ぎれば質流れとなったこと、しかし簡単に質流れにはならず、請け戻しが可能になるような在地社会の慣習法があり、質入れは最終的な生命維持の手段として機能していたと推測しています。

最後に、奴婢は身分と考えてよいのか、質入れされた下人は請け戻される可能性があるのだから固定的ではない。身分とは何か、という問題に発展していく、と結びます。

知らないことが多く、目から鱗でした。大学院時代、進学校の講師をしていた時に生徒から、中世には日本にも奴隷制度があったというのは本当か、と訊かれ、うまく返答できませんでしたが、このことだったんだ、と思い当たりました。同時に歴史学も、言葉や文脈の解釈で勝負しなければならない場合があるんだ、と思いました。また中世には、中世なりの生活安全ネットがあったことも知って、粛然としました。