福井高専の大谷貞德さんから、津市図書館へ3度目の調査に行ってきた、と写メールが来ました。どうやら伊勢の国学者たちのネットワークに、長門本平家物語の書写・校訂作業が繋がっていくようなのです。まるでパズルが填まるように、伝本の関係がつぎつぎ集中していくので、面白くなってきたらしい。
津市図書館へはかつて私も調査に行き、阿野の津の面影だけでも見ようと、港までバスに乗って行ってみたのですが、近代的な港湾風景を見ただけでした。この辺りは伊勢平氏の根拠地でもあり、平家物語では熊野に向かう港として、屡々重要な船出の場になっています。しかし数百年に1度ごとに地震、津波の被害に遭っていて、明応7(1498)年には壊滅的な打撃を受け、港の機能を失ったようです。
【調査後、時間がなかったので駆け足でしたが安濃川の河口へと行きました。このあたりから阿漕までにかけて、かつての港があったのだそうです(大谷貞德)】。
北陸は新幹線が延びるまで、東京から見れば交通不便な、遠隔地でしたが、その地へ行ってみれば、関西へも日本海側へも近く、つまり往年の都にも、大陸からの文化が流入してくる経路にも、そして伊勢・尾張のような独自の文化都市にも行きやすく、東京とは違った眼で文化の伝播の行跡を見ることができる位置。
半世紀以上前、私が長門本伝本の悉皆調査を始めた時、何故か太平洋側、西へ向かう沿線ばかりに所在情報があるのが気になっていたのですが、戦前からの『国書総目録』用のデータから出発したので、それ故の偏在だったかも知れません。郷土資料の整理が進み、地方の博物館や文庫の情報が共有できるようになった現在、視野は格段に広がりました。長門本平家物語の研究は、進化系です。