回想的長門本平家物語研究史(15)

全国に散在する伝本を実地調査し、「長門本」と認定できるものを選り分け、それらが国書刊行会翻刻と大差がなく、旧国宝本以前に遡る本文は発見できないと判った時点で、私は途方に暮れました。伝本調査は、伝本同士の先後関係をたどれるようになって初めて完成だと単純に考えていたからです。それは恐らく、一生かかってもできないと予感し、とりあえず判るところまで整理する作業をしました。長門本を、いや平家物語諸本を研究する人は、多かれ少なかれ一度はそういう作業に着手するだろうから、少しずつ前進していくだろう、その時に取りかかりやすい形にしておこう、と思ったのです。

しかしその後、翻刻や影印の出版が盛んになって伝本そのものへの関心は薄れ、延慶本古態説が一世を風靡して、平家物語研究は次第に、平家物語を単なる素材として扱う風潮が強くなりました。長門本に関しては延慶本との比較対照か、相変わらず説話研究、管理者考しか出ていません。しかし読み本系諸本は、一部に見える説話や思潮の源泉を追究しても、その全体像にはなかなか辿り着けないのです。

私自身は、複数の読み本系平家物語が離合集散を繰り返した結果今日の諸本が残ったこと、その流動過程自体が平家物語の文芸的特性であり、中世の一面でもあることに興味があり、その結節点の1つとしての長門本に関心を持っています。

今思えば、故石田拓也さんが、京都周辺からもたらされた長門本祖本が、15世紀大内氏の文化の中で増補改編されたと考えていたらしいこと、故村上光徳さんが、名古屋周辺で長門本の書写が行われ、近世における享受・流布につながったのではないかと見込んで調査を進めていたことは、核心を衝いていたかもしれません。それは源平盛衰記など近世の軍記物語享受にも発展する問題だったのかも、と考えるときがあります。