阿野全成

高橋一樹さんの「鎌倉幕府の成立と阿野全成ー伊豆山旧蔵の全成発給文書をめぐってー」(「軍記と語り物」60号)を取り寄せて読みました。昨年8月29日の軍記・語り物研究会で報告されたものです。その際にも興味深く視聴したのですが、活字になってから紹介しようと考えて、今日になりました。

源頼朝の異母弟阿野全成は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも印象に残る人物でしたが、治承4(1180)年の頼朝挙兵に駆けつけ、石橋山合戦敗北後下総にいた頼朝と対面、しかし建仁3(1203)年に誅殺されたという。その間、またそれ以前の動静を伝える史料は多くないが、伊豆山(走湯権現)旧蔵文書の中に、全成の花押のある治承7(1183)年7月25日座主寄進状とその副状があり、原本は失われているものの複数の資料を考証することによって内容を確認できるという(慎重な確認の過程が説明されています)。それによると、元来走湯山領であった相模国長墓郷を、走湯山常行堂に寄進して源家安穏を祈祷するよう、治承7年7月25日に「座主」が花押を記しており、この花押は全成の花押と認定でき、つまり全成は頼朝挙兵以前から伊豆箱根付近にいて、走湯山と関わりがあったのではないか、「座主」という異例の名称、治承7年(すでに改元され、京都では寿永2年)という頼朝が拘った年号を使用していることから、頼朝の代官として発給した文書の1つ、と推測しています。さらに全成の誅殺には、良馬を育てる牧をめぐって、関東武士との間に軋轢があったのではないかとして、東海道の周辺に残る義朝の遺跡を辿る必要を説いています。読後、充実感がありました。

本誌には薦田治子さん、早川厚一さんの講演録も載っており、軍記・語り物研究会の機関誌なのですが、全50頁(抜刷かと思った)、¥1650。