王に勝る果報

原田敦史さんの論文「慈光寺本『承久記』の一側面」(「国語と国文学」9月号)を読みました。承久の乱を扱った『承久記』には流布本のほかに慈光寺本という異本があり、こちらが古態本とされています(新日本古典文学大系所収)が、諸本群を擁するのが通例である軍記物語の中では、やや異色な在り方を示します。慈光寺本は構成も合戦記事も流布本とは大きく異なり、しかも流布本への「成長」傾向が窺えません。まるで別作品とみなしたくなるほど、同じ時代と事件を扱いながら異なる様相を呈しているのです。

また慈光寺本では、合戦の詞戦の際に東国武士が「誰カ昔ノ王孫ナラヌ」と言い返したり、官軍に勝った北条義時が武士たちの面前で、「王ノ果報ニハ猶マサリマイラセタリケレ」と悦に入る場面があって、王の権威を相対化する視点があると論じられてきました。原田さんはそれらの場面を丁寧に読み解いて、東国武士たちが京都の王権を直接相対化したというよりも、鎌倉殿の前には御家人皆対等という、彼らにとって頼朝挙兵以来の重要な理念が、義時によって無効にされていく状勢を描き出しているのだと言うのです。

鎌倉政権の構造に関する近年の歴史学の成果を踏まえ、原田さん得意のきめ細かな読みによる立論です。殊に「誰カ昔ノ王孫ナラヌ」という科白を、前後の文脈から切り出して重視してきたための見落としを指摘したことは重要です。願わくはもう一歩、前へ出て欲しかった気もしないではありません。仏教的年代を序とする慈光寺本の歴史観と、鎌倉政権変質の始まりを的確に捉えていた感覚とが、流布本のような記述に何故、変わっていくのか。帝王の「十善の果報」に打ち勝てる果報の行方を、どう予見していたのか。私自身、この30年間に自分の中で変化しつつあった軍記物語史観を可視化する必要を自覚させられ、きっかけを作って貰ったことに感謝しました。