世の中騒がし

𠮷海直人さんの「「世の中騒がし」に疫病を読むことー『源氏物語』薄雲巻の再検討ー」(「國學院雑誌」1406号)という研究ノートを読みました。

「騒がし」という形容詞が「世の中」と結びつくと、単に音がうるさいという意味に留まらず、ある特定の情況を指す、具体的には疫病の流行(戦争、天変地異のこともある)をいう、殊に中古の物語やその周縁の文学の用例からはそう判断できる、という内容です。コロナの流行をきっかけに、栄花物語源氏物語の論考で取り上げられるようになった、しかし辞典類や源氏物語注釈ではすでに指摘しているものもあった、とも述べています。

源氏物語では3箇所ある用例は全て薄雲巻、その上「のどかならで」「あわたたしく」「心静かならで」などの例も見え、異常な雰囲気を持つという。薄雲巻は、藤壺が亡くなり、冷泉帝にその出生の秘密(じつは光源氏藤壺の密通の子)が告げられる巻です。王権が動揺するかと思われるが、結局光源氏の地位が確固たるものになる巻でもあります。史実では正暦4(993)年から長徳4(998)年、長保2(1000)年から翌年にかけて疫病が流行し、栄花物語は藤原一族の勢力交替の原因として描くが、源氏物語ではあくまで物語の筋運びに必要な要素に過ぎない、と𠮷海さんは論じています。

コロナがこんな成果ももたらしたとは、知りませんでした。なお上代ではこういう表現をしなかったのは何故だろうか、平安時代は疫病をなるべく間接的な言い回しで表現しようとしたのかもしれない、中世の散文文学ではどうなのか、例えば「世の騒ぎ」というような表現には疫病は含まれるのだろうか、等々思い合わせながら読みました。

なお本誌には内川隆志さんによる『肥前陶器の意匠研究ー柿右衛門様式の成立と展開』(松浦里彩著)の書評も載っていて、興味深く読みました。