帝諡考

田代圭一さんの論文「宮内庁書陵部蔵『帝諡考』の成立過程ー森鴎外の書き込みをもとにー」(「書陵部紀要」75号)を読みました。

森鴎外(1922没)は晩年、宮内省図書寮の頭を務め、歴代天皇の諡を考証した『帝諡考』を著しました。大正8(1919)年10月3日に脱稿、同10年に図書寮から100部刊行され、その経緯は鴎外全集(岩波書店)にも掲載されているそうですが、書陵部には未だ検証されていない『帝諡考』の関連資料が複数所蔵されており、田代さんは今回それらを丹念に比較考証した結果、鴎外による書き込みが多数あることが分かり、『帝諡考』の成立過程をより明らかにしようとしたとのことです。

言及されている資料は➀原稿(森鴎外記念館・天理大学図書館蔵) ②校正刷(天理図書館蔵) ③刊本(天理図書館蔵2種、書陵部蔵a、書陵部蔵e) ④草稿副本b(カーボン複写、書陵部蔵) ⑤第2校正刷(書陵部蔵c) ⑥草稿原本d(カーボン複写、書陵部蔵)と多数に上ります(それらによる校異の一覧表を掲載しています)。鴎外が本書完成まで慎重に、丁寧に推敲を重ねたこと、それらの記録を残して置いたことが分かります(私たちだったら、完成稿だけを残して廃棄してしまうかも)。それらには鴎外の筆跡による書き込みと共に、別人(清書したか)や後人の筆跡も見いだされるそうですが、書道家でもある田代さんは、鴎外の筆跡の特徴を摘出して、書き込みを区別しています。

一つ気になったのは、p23下段、p153図版二、⑤の題簽への書き込みは「欧外」ではなく「鴎外」と読めるのではないでしょうか。

近代の、しかも活字刊本が出た後も著者による校訂が続けられた過程を追う作業は、こういう風な方法で行われ、こういう成果があるのか、と初めて知った思いでした。