経国の大業

大津直子さんの「国文学者と時局―谷崎源氏の改訳から見る、戦中戦後の天皇表象と最高敬語―」(「同志社女子大学総合文化研究所紀要」38巻)を読みました。大津さんは院生時代から継続して、さきの大戦中から戦後に亘って谷崎潤一郎が現代語訳した源氏物語、いわゆる谷崎源氏に、学者の立場から監修協力した山田孝雄、玉上琢弥の影響がどのようなものであったかを追究しています(本ブログでも何回か、その一端を紹介しました)。殊に山田孝雄の加えた朱筆は、単なる国語学的補訂に留まらず、物語の思想的立場をも左右するものであったということです。

研究ノートという範疇で書かれた本稿では、論点を桐壺巻の1節、「御つぼねはきりつぼなり、あまたの御かたがたをすぎさせ給つつ、ひまなき御まへわたりに」の最高敬語の用法に絞り、帝が更衣の許を訪れるのか否かという議論を検証しています。すぐ後の「まうのぼり給にも」の主語が更衣であることは明白ですから、対として考えればここは帝の行動でなければならず、「させ給」という最高敬語の使用は源氏物語の中では限定されていることからも、帝が主語であることは確実なのに、山田孝雄は谷崎の原稿に朱を入れ、谷崎はそれに従って更衣主語説に書き換えたらしいのです。そこには天皇の振舞をどう描くかについてのある立場(天皇神格化に沿った)があり、昭和30年になって玉上琢弥の申し入れにより、ようやく帝主語説に訂されたのだそうです。

山田孝雄は、平家物語の研究では今もなお有益な、諸本と作者伝の研究を残した人。周囲の冷たい視線を浴びながら、孤独に黙々と膨大な調査・考証作業を続けた結果だと聞いたことがあり、私としては彼1人が糾弾されるのは悲しい気がします。しかし大津さんが、勤務校で発見した昭和12年の速記録「日本諸学振興委員会研究報告」を見ながら、また今般、日本学術会議人事への不当な弾圧を目の当たりにしてこの文章を書き、こう結んだことに、つよく共鳴しました。「文章は経国の大業―記録は大事である。」