中世文学会2024春

2024年度中世文学会春季大会2日目、午後の2本をオンラインで視聴しました。

Zoomはいつも使っているからと、開始ぎりぎりに参入しようとしたら、何やらPCが言ってくる。開いても仕様が違うのでまごついていると、今度は音声が出ない(後でチャットを見たら会場側の問題だったらしい)。ちょっと最初が切れましたが、李淳南さんの「『付喪神絵巻』の継承と新生ー『葉室頼業記』に見える転写と貸借を中心に」を聴きました。予習した時は資料に発表内容を全部書かなくても、と思いましたが、こういうことがあっても資料を見ながら従いていくことができたので、たすかりました。

10年程前に妖怪絵巻が流行した時期があって、現職時代、図書館の蔵書購入に関わり、『付喪神絵巻』はさんざん見た記憶があります(しかし監修した古典籍解題に、奥書情報が漏れていたようで<汗>)。捨てられた古道具が妖怪になって騒ぐ、という付喪神(つくもがみ)の話は御伽草子にもあり、面白いのですが、今回の発表は江戸諸本B群と分類される『付喪神絵巻』の奥書から、後水尾天皇に信頼された権大納言葉室頼業がその模写に関わり、公家社会で享受されたことを考証、それに対してもとになったA群の諸本は、禁裏と狩野派絵師の周辺に伝来していたのではないかと推測しました。会場から、近世も後半になると民間で多く模写されたようだがそれらとの関係は、と問われたのは同感でした。一方で、いま私が関わっている長門本平家物語の伝来(松平定信の周辺、大名や国学者たちの文化圏)研究も、研究動向としてまさに同時代を共有しているんだと感じて、武者震いしました。

2本目は米田真理子さんの「千代野の登場ー文学研究から仏教史を問い直すー」。南北朝期に成立した「千代野物語」は、尼僧無外如大の伝記に組み込まれ、近世を通じて昭和まで承け継がれたこと、月の映る柄杓(または桶)の底が抜けた瞬間に悟りを得、女身のまま往生を遂げた物語として伝わったことは、仏教が決して女性蔑視1本槍ではない証だと考える、という内容でした。禅研究の方面からのジェンダー論なのでしょうが、聞きながら、禅宗の特殊性があるのでは、と思いました。また近代の場合は、女性が宗教指導者になる(なることを求められる)時代の風潮があったのではと思ったりもしました。会場から、もっと和歌の分析など文学的な解析が必要との指摘があって同感でしたが、文学というよりジェンダー論なんでしょうね。悟りの契機と内容についての考察を聞きたいとも思いましたが、それらはすでに済ませたということでしょうか。仏教史の中の1筋の流れ、もしくは時期的な濃淡ではあっても、仏教史全体の傾向を見直すには無理がありそう。

2本とも私には専門外でしたが、いい勉強をしました。