源平盛衰記全釈16

早川厚一さんほか6名による共同研究の成果「『源平盛衰記』16-巻5-3)」(「名古屋学院大学論集」人文・自然科学篇 57:2)を読みました。国語学・中国文学・歴史学をも総合して、源平盛衰記に注釈をつける試み、16年経ってようやく巻5が終わった、という悠然たる事業です。三弥井書店源平盛衰記(一)』の頭注に、史料の『顕広王記』『愚昧記』などの追加を書き込みながら読みました。

有益でしたが、2点ばかり疑問を。①p104上段の長門本の解釈について。盛衰記巻5「成親妻子歎」(1ーp184)では、成親北方の出自を簡単に説明していますが、長門本巻3は詳しく、建春門院の乳母諸人という者が養子にしたと述べます。全釈では諸人が「私のように下賤の身であるのに・・・」と「諸人の養子にして建春門院に差し出された」と訳していますが、下賤の者の養子にすれば下賤でなくなる、というのは辻褄が合いません。「我が身」は諸人のことでなく「あつかたが娘」ではないでしょうか(また差し出した先を法皇と考えて、「御身」は法皇のことだとする解釈も成り立つのでは)。

②p158下段に落合博志氏の説を紹介しながら、『入木口伝抄』が記す平家物語絵巻詞書の書法と長門切について触れていますが、長門切が絵巻の詞書ではないかという憶測は、佐々木孝浩氏を初めとして、現在では否定的に考えられています。

中世から近世にかけてひろく読まれていたらしい源平盛衰記を、現代人に読みやすく提供するにはどうしたらよいかー50年前から現在まで、私が関わり続けてきた課題です。本文だけでも早く提供したかったのですが、諸般の事情で私の残り時間内に間に合うかどうか、という状況になりました。複数の人の目で、読みの可能性をさまざまに探究していくことには賛成です。できればなるべく速く。

追記:早川さんから、①自分たちも「我が身」は「あつかたが娘」だと考えている ②『入木口伝抄』記事が、直ちに盛衰記本文の成立年代を証明するものではないことを指摘したのである とのメールが来ました。