能登を懐う・2

マンション階上の老婦人とEVで遭って、挨拶しました。毎春桜を訪ねて旧友と旅行する、という女社長です。能登は大変らしい、という話がEVの中で終わらず、玄関前で立ち話になりました。みんな金沢ばっかりに行くけど、能登は海も山もあって、魚が美味しくて、いい所、と仰言る。長谷部信連の墓をご存じでした(今は立派な公園になっているので)。「ランプの宿」に行ったことがあって、と言われ、そう言えば私も女子学生たちにせがまれて行ったことがあり、能登は3度訪れていたことを忘れていました(40年前の「ランプの宿」は大変な所だったので、その話は別の機会に書きます。調べると、現在は大人用の観光地として人気らしい)。

被災地の報道を見ていると、現代日本の抱えている問題が集約されているような気がします。地方独自の豊かな自然の中で、伝統的な文化と調和した家庭生活が保障され、そこへ最新の通信手段や水洗便所や家電が入ってきて便利になり、それが当たり前のように浸透して(とみんなが思って)いたところに、災害が、それは違うぞ、と現実を突きつけた、とでも言ったらいいでしょうか。2次避難を勧めてもなかなか住民たちの踏ん切りがつかないのも、よく理解できます。日常のいちいちの生活スタイルがまるで違う。単に、故郷とかコミュニティとかへの執着だけではないのです。

災害前に保たれていたバランスは微妙なもので、完全に再現することは難しい。高齢者が立ち止まるのも無理はありません。しかし、校舎が使えないため中学生たちが2ヶ月も家族を離れて暮らす、という選択には、もと学校関係者としては、本末転倒じゃないのか、という疑問も拭えません。古くからの防災計画、避難対策を根本的に考え直す機会なのではないかという気もするのです。