能登大地震支援ボランティアの受け入れが始まりました。体力のない私は、自分の仕事の合間に被災地へ手伝いに行こうという人たちに、驚嘆の念を禁じ得ません。どうか怪我をしないように、疲れが溜まりませんように。
マスコミは受け入れが遅いと言わんばかりでしたが、未だ余震が続き、2次災害も予想される時期では、地の理も知らない人たちがやみくもにやってきても効率的に働いては貰えない、という判断があったのでしょう。
報道を見ていて感心するのは、支援の手段やツールが格段に進歩してきたことです。被害家屋の補助金申請を、東京からオンラインで受け付ける業務支援が始まったという話。郵便局や金融機関の窓口を積んだ車、コインランドリーや浴場の機能を果たす車、医療従事者の執務室兼休憩室となる車・・・こうしてノウハウが蓄積されていきます。
ただこの地域は3年前から地震が続き、結構大きな揺れも体験していたようで、何故もっと早くから、家屋の耐震補強の呼びかけや、インフラの点検をしておかなかったのかという反省は、後日であっても行政には必須でしょう。
最後に勤めた職場に赴任した当初、科研費の実務を扱える職員がいなくて不自由しました。ようやく安心できそうになってきた時、担当職員が突然辞職、殆ど泣きたい気持ちで理由を問いただしたら、海外協力青年隊に応募したという。永年の夢だった、40歳になるとシルバー隊になってしまうので、今年が最後のチャンス、とのこと。仕方なく、で、何をやるの?と訊いたら、ゴミ処理だという。思わず聞き返しました。元仏蘭西領だったアフリカで、ボランティアが集まりすぎて、彼らの出すゴミの処理をする人手が必要になったのだそうです。嬉々として出発して行きました。