古活字探偵17

高木浩明さんの「古活字探偵事件帖」17(「日本古書通信」1138)を読みました。「表紙はすべて表紙屋か」と題して、版本の表紙の裏張りや補強に使われた反古紙(刷り反古を使用する例が多い)を調べると、本体と同じ活字や版である場合があり、それらは印刷と表紙掛けとが同じ工房で行われた可能性が高い、と書いています。

反故紙の利用は、書誌学のみならず古典籍の研究には大きな手がかりをもたらします。古活字版の場合、刷り反古の利用は大体3~4年以内、という見解があるのだそうで、写本の紙背の場合とは事情が違うものの、長門切など断簡資料を扱う際の年代判定の障壁が思い合わされました。

おおよそ物を作る際には、当初は同じ場所、同じ人間が一貫作業で作るが、次第に分業化していく、というのが自然な流れでしょう。しかし表紙屋という専門業者が現れてからも印刷工房では製本、表紙掛けを行うことがあった、とは想像できることです。同時に、表紙屋へ印刷工房から刷り反古を卸す(あるいは無料で渡す)習慣があったかもしれない、と考えたりしました。

本誌には太宰治と俳優の丸山定夫との交流、立原道造丸山薫の句作など、懐かしい作家たちの逸話も載っていて、楽しめました。就中、折付桂子さんの「大震災から13年、東北の古本屋(上)」は読み応えがありました。珠洲市、相馬市、楢葉町福島市仙台市米沢市宮城県加美町などの古書店主たちを訪ね、その思いを聞き取っています。東北から能登への思い、能登民俗学的別世界だが古本屋の存在意義もまたそこにある、歩く人がいてこそ街だ、古本屋があることが文化だから、ネット販売時代に店を出し続けることの重みなど、語られる言葉は熱く、富岡町に咲き誇る夜桜の写真が美しい。