能登を懐う・3

昨夜、夕食後半ばうとうとしながらTVのリモコンをいじっていたら、「重機の達人」やら「職人魂」やら、大仰な字幕入りの画面が出てきました。重機の操縦士がインタビューに答える言葉が耳に留まり、暫く視る気になりました。どうやら土木工事によく使われる、アームのついたトラクター(ユンボというらしい)の運転に熟達した人物が、震災や津波の被災地で活動した経験を語っているようですー自分は重機の操縦には満腔の自信があった、しかし被災地での体験はそれまでの作業とは全く違うことを知って、自信は全部崩れ去った、という。どこから手をつけていいか分からない、うっかり掴むと壊してはいけない所まで崩れる、その上家財にはそれぞれ持ち主の思い入れがあって、たとえ壊れていても廃棄するかどうかは見ただけでは分からない。土木や建設の現場とは全く違う、あの雰囲気は現地に立ってみないと解らない、というのです。

はっとし、それから大いに共感しました。親の家を処分した時のことを思い出したのです。番組では、この人物が東北大震災、熊本大地震、そして能登にも重機を持って駆けつけたことを報じ、画面では道路を塞ぐ倒木の除去作業を映していました(人物の名前も出たはずですが、途中から視たので覚え損ね、ウェブで調べましたが分かりませんでした。TV東京、1月21日放映、番組名は日曜ビッグバラエティ「働くクルマ大集合」)。家や家財を突然の災害で破壊され、廃棄処分しなければならなくなった時、それは極めて個人的な、情緒的な作業になる。単に人手があって、速く片付けばいいというものではない。そこに難しさがある。

一方で、先の見通しが立たないので2次避難に踏み切れない、という声もあります。高齢者の気持ちとしては尤もです。外から来る支援者は、どこまでその葛藤に付き合えるか。