気づかれぬ落差

能登地震の被害状況はなかなか全容が掴めず、報道機関も苛立っているようですが、あの東北大震災の時もこうだったのだろうか、と今になって思います。当時は日々の予定をこなしていくのに精一杯で、被害の規模や全容は受動的にしか意識できませんでした。

能登地方の地形や、元旦という日付の特殊性もあるのでしょうが、交通手段、流通運搬の障害は想像以上で、何よりも通信インフラの不具合には驚かされました。日頃、居ながらにして全世界と通話ができると思っていたのは、幻想だったのか。アナログ世代でしかも体力のない私は、いざという時、自分自身の能力範囲内かどうかということを念頭に置いて大きな決断をするようにしてきました(家を買い換える時もタワマンでなく、駅近の4階以下で探しました)が、知らず知らず、そういうこだわりを軽んじる風になっていなかったか、と反省した次第です。

車があれば行ける、スマホがあるから大丈夫、という日常が普段に在って、もしその手段が使えなくなったら、という安全網を掛けておくことを行政任せ、他人任せにしてはいけない、それはどの地域でも言えること。水の豊かな地域なのに、使える井戸はどこにもないのでしょうか。各地の道の駅に災害時の必要品を詰めたコンテナを置いておくべきだという提案もありましたが、もっと細かく、郵便局がその役割を果たしては如何か。

羽田空港では、誘導路と滑走路を区別する照明灯が昨4月から使用停止のままだったという報道には仰天しました。規定上は目視によることになっているのだそうですが、あらゆることが予め安全確保されている今どき、人間はどこでもいつでも、そういう保障があるものだという気になりがち。当初の飛行計画で目的地到着の10分前になっていた機長は、離陸NO1と言われて、その前に着陸機があるとは考えなかったのかも知れません。