清水由美子さんの論文「『吾妻鏡』と『源平闘諍録』ー千葉氏関連記事をめぐってー」(「国語と国文学」2022/12)を読みました。源平闘諍録は真名書きによる平家物語の異本で、千葉氏と深い関係にあることは知られていますが、未だ解明されていない問題の多い本でもあります。清水さんは、鎌倉幕府の記録吾妻鏡と闘諍録とを、依拠関係に限定せず意図や表現方法の違いに注目して読む作業を通して、平家物語という作品の立場を描き出そうとしています。
吾妻鏡に於いても千葉一族の存在感は大きい、その点では闘諍録の成立圏は吾妻鏡から遠いものではないと推測、しかし千葉胤頼の人物造型や日胤関係記事を見ると、両者が異なる叙述意図を以て編纂されたことが分かる、というのです。そして闘諍録は千葉氏の中でも嫡家の活躍に焦点を絞り、その功績を伝えたいという姿勢を示していると結論づけました。敗者に寄り添う物語としての平家物語に、合戦に加わった一族の伝説を残したいとの思いを妙見信仰を媒介にして共存させ得た、そこに闘諍録の成立があった、と。
なかなか骨太の論です。先後関係や依拠資料の考証に留まらず、作品の成立を表現意図の面から論じることは文学研究者に求められる要件だと思うので、このような試みは前途多難とはいえ大切でしょう。一つ気になったのは、p44下段3行目の「父胤頼」、「父常胤」なのでは?
清水さんは、「『平家物語』における人物の戯画化ということー巻八・法住寺合戦関連記事をめぐってー」(「中大文学部紀要 言語・文学・文化」2023/2)という論文も書いていて、幾つもいい着眼点が見られるのですが、こちらはもう少し論理構成を組み立ててから書いて欲しかった気がします。