睨んで御覧に入れまする

机上の時計が止まっていたのに気づかず、團十郎一家のドキュメント番組の頭を見落としました。歌舞伎の世界は、座長を支える大勢の下積みがいて初めて成り立つことは周知の事実。暮には平成中村座のドキュメントを視ましたが、勘九郎の姿勢と團十郎の態度とは大違いです。勘九郎は、いい弟を持ったからこうして一座がやれる、と涙を浮かべて語りました。勘九郎七之助兄弟が未だ小学生だった頃のインタビューを視た覚えがありますが、七之助は悪戯好きのお茶目な子でした。真面目な受け答えをする兄を茶化したりしていたのに、今や堂々たる立女形になりました(往時茫々です)。團十郎は決して、周囲の者への感謝などを語りはしません。家の格によるのでしょうが、年齢と若い頃の行状とからして、どうもしっくりこない。そういう立場だとは思っても、贔屓する気になれません(母を亡くした子供たちを前面に出すのも違和感がある)。しかし番組は最後に、画面越しの「團十郎の睨み」を放映、東京の正月行事は一通り済んだことになりました。

千葉から見える富士

恒例の箱根駅伝中継も視ました。今年は薄曇りで、霊峰富士は殆ど画面に出ませんでした。毎年書くことですが、高校駅伝だって指導者は出しゃばってこないのに、何故箱根だけ指導者が車で伴走するのでしょうか。18歳過ぎていればれっきとした大人。正月早々、オヤジの怒声なんか聞きたくない。TV向けのパフォーマンスだとでも勘違いしているのか。お前が走れよ、と画面に向かって怒鳴り返したくなりました。

街へ時計の乾電池を買いに出ました。キャリーケースを曳いた若い人たちが続々帰ってきています。本郷薬師と桜木天神に初詣をしました。天神様には短い行列が出来ていました。受験の季節の本番です。友人から、千葉から見た富士の写メールが来て、めでたい初夢の代わりになりました。