公家の盛衰・武家の興亡

先日買ってきた倉本一宏さんの『平氏―公家の盛衰、武家の興亡』(中公新書)を読みました。倉本さんは古代史が専門、同じ新書で藤原氏や公家源氏の本も出し、道長に関する新書も2冊出しています。本書は、はじめに―平氏とは何か、1桓武平氏の誕生、2その他の平氏、3公家平氏の人びと、4武家平氏の葛藤、5公家平氏武家平氏の邂逅、おわりに―その後の平氏、という章立てになっており、私の主な関心は3~5の辺りなので速読する所存だったのですが、蒙を啓かれるところが多々ありました。

平氏」「平家」と言えば、平家物語の影響で「驕る平家は久しからず」という否定的なニュアンスでイメージされがちだが、それは近世以降のことで、平家が権力と栄華を恣にしたのは清盛時代のたかだか十数年に過ぎず、平氏にもいろいろな系統があり、頼朝を担いで鎌倉幕府に集結した坂東武者たちの多くは平氏だった、とまえがきで述べています。実際、源平闘諍録は「諸行無常」の序、清盛の系図に続けて、坂東平氏の系譜を述べており、治承寿永の合戦を「源平」合戦と呼んでいいのか、とまどいます。

皇族ではないことをはっきりさせるために姓を与える「賜姓」は、もともとは源・平だけに限らなかったそうですが、弘仁5年(814)に嵯峨天皇が一世の子女に源姓を与えて臣籍降下させたのに対し、平氏は天長2年(825)に桓武天皇の皇子葛原親王が自らの子女(つまり二世)に平朝臣姓を賜るよう上表したことに始まり、公家社会の中での浮沈や家の専門化などを経て、公卿、実務官人、武家の棟梁から侍まで分岐していく。後世には「平氏」は一種のブランドとなり、治承年間に敗れた側でありながら特別な氏族として、時には詐称されてもきたというのです。

日記資料研究が盛んになったこの数十年、成果が目に見え始めたことを実感しました。